モンツァの歴史

モンツァのカントリーハウス

 

モンツァ(伊:Monza)は、イタリア北西部ロンバルディア州に属する都市です。ミラノ都市圏の一部をなし、商工業、とりわけ織物工業がさかんに行われています。「ブリアンツァ(Brianza)」(=ロンバルディア州でとりわけ肥沃な土地が広がる文化圏のこと)の中心地でもあることから、「グルメの町」としても有名です。

 

モンツァの時代変遷

 

中世

都市としての発展は、中世以来、ランゴバルド王国支配のもとで始められ、6世紀末には、ランゴバルド王妃テウデリンデにより、モンツァ大聖堂が建設されています。10世紀には自由都市となり、フン族の侵入をにらみ都市の要塞化が進められています。11世紀にミラノ支配下に入り、聖職叙任権闘争に続く神聖ローマ皇帝とローマ教皇の対立時代には、モンツァは皇帝派の拠点とされていました。

 

近世

16世紀になるとモンツァの宗主ミラノがスペインの支配下に入ります。18世紀にスペイン継承戦争が勃発すると、ミラノの支配権はオーストリアハプスブルク家に移り、以後モンツァはウィーンとミラノを結ぶ交通の要衝として栄えました。

 

近代

18世紀末以降、フランス革命の影響で“自由”や“平等”といった価値観が広がったために、オーストリアからの独立運動が活発になり、19世紀後半に入る頃にはイタリア統一運動(リソルジメント)を主導したサルデーニャ王国に、モンツァ含むロンバルディア全域が併合。そして1861年サルデーニャ王国はイタリア王国として生まれ変わり、モンツァも同王国の一部として運命を共にすることとなりました。