ポーランド・リトアニア共和国のヨーロッパ最初の近代的成文憲法とは?

近世ヨーロッパの大国ポーランド・リトアニア共和国は、絶対王政が主流であった当時において、貴族が君主の権力を厳しく監視する貴族共和制という政治体制を採用していました。

 

周囲の大国の圧力に耐えきれず、1795年には消滅の運命を辿ることになりますが、近代民主主義、立憲君主制、議院内閣制の先駆けとなるなど、現代の基準に照らし合わせても非常に先進的な国家でした。

 

その先進性を象徴するものとして、末期の1791年に成立した5月3日憲法があります。これは近代ヨーロッパ史上初の成文憲法とされ、世界でもアメリカ合衆国憲法に次ぐ2番目になります。

 

5月3日憲法の特徴

 
  • 三権分立の原則および法の支配を明示
  • 国王は立法権を有しない
  • 行政は首相をトップとする「国王の評議会」(内閣)が行う
  • 市民と貴族は政治的に平等である

 

上記のような現代的価値観に極めて近い自由主義的憲法は、当時のヨーロッパでは「既存の体制を揺るがす危険思想」でしかありませんでした。

 

そのせいで周辺国から徹底的に攻撃された結果、1795年には三度目の国土分割が行われ、ポーランドは地図上から姿を消してしまったのです。