イタリア統一(リソルジメント)

リソルジメント(Risorgimento:“復興”の意)とは、19世紀初頭より始まった、イタリア民族の独立と統一を求める運動のことです。同世紀半ばからはサルデーニャ王国主導でイタリア統一戦争が開始され、第一回(1848〜49年)は失敗に終わりましたが、第二回(1859〜60年)はフランスとの同盟でオーストリア軍を破り、半島統一を達成しています。翌年にはサルデーニャ国王を君主に据えてイタリア王国を成立させました。

 

 

リソルジメントの前史

西ローマ帝国崩壊後のイタリア半島は、いくつもの勢力が分立する政治的にはまったくまとまりのない地域になってしまいました。周囲の大国がイタリアの利権をめぐり抗争(イタリア戦争)を繰り返していたこともあり、改めて統一国家が樹立される余裕もなかったのです。

 

しかしそんな周囲の干渉を取り払う原動力となったのが、近代ヨーロッパ史への転機ともいわれるフランス革命です。

 

「自由、平等」をスローガンに、アンシャン・レジーム(旧体制)の打破を成し遂げたフランスの市民革命は、当時オーストリアの支配下にあったイタリアの民族意識を刺激しました。さらにフランス革命戦争の最中に、名将ナポレオンが北イタリアを一時オーストリアの支配から解放してくれたことで、統一を求める声は一気に高まっていったのです。

 

リソルジメントの開始

カルボナリ・青年イタリアの結成

ナポレオンが失脚すると、イタリアは再びオーストリアの支配下に戻りますが、強烈な保守反動体制(ウィーン体制)への反発から、「イタリア民族統一運動」が本格化していきました。

 

最初に統一運動を主導した秘密結社カルボナリは、反オーストリアとイタリア統一を唱え、ピエモンテ革命をはじめ様々な運動を展開。その後マッツィーニにより青年イタリアが結成され、激しい弾圧に合いながらもイタリアの統一と共和政実現を目標に武力蜂起を続けました。

 

第一次統一戦争

1848年、ミラノでオーストリア支配に対する反乱が勃発(ミラノの5日間)。サルデーニャ王国はこれを救援するために、オーストリアに対する戦闘を開始し、第一次イタリア統一戦争の戦端を開きました。しかしわずか数日で敗北を喫し、その後もオーストリアによるイタリア支配は続きました。

 

第二次統一戦争

1858年、サルデーニャ王国はフランスとプロンビエールの密約を交わし、サヴォイア、ニースをフランスに割譲する代わりに、独立戦争に対する武力援助の約束をとりつけます。そして翌年第二次イタリア統一戦争を開始し、フランスとの連合によりマジェンタ・ソルフェリーノの戦いにおいてオーストリアを撃破するのです。

 

ヴィラフランカの和約

ようやく統一運動に弾みがついたと思ったその矢先、サルデーニャ王国の拡大を恐れたフランスが、オーストリアとヴィラフランカの和約を結んでしまいます。フランスの一方的な講和により、成果としてはロンバルディアを奪還するに留まり、統一戦争は強制的にストップさせられてしまいました。

 

リソルジメントの完了

中部イタリアの併合

それでもまずは「イタリア統一」の実現を第一とし、恨みは忘れてフランスとの関係を回復。「裏切り」で頓挫していたサヴォイア・ニースの割譲と引き換えに、中部イタリア諸国を獲得するにいたり、イタリア統一に大手がかかりました。

 

南部イタリアの併合

1860年、千人隊(赤シャツ隊)を組織したジュゼッペ・ガリバルディが、実力によりブルボン朝支配の南部イタリアを解放。翌61年これをサルデーニャ王に献上したことで、ローマ帝国崩壊以来約1400年ぶりに、イタリアの政治的統一が達成されました。

 

イタリア王国の成立

イタリア統一と同時に、サルデーニャ国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世を国王に迎え、イタリア王国(現イタリア共和国の前身)を成立させました。同国はその後、普墺戦争(1866年)でヴェネツィアを、普仏戦争(1870年)でローマを獲得するにいたり、イタリア統一をほぼ完全なものにしています。

 

未回収のイタリア

しかし一部にはまだオーストリア支配下のままのイタリア語地域(トリエステ、南チロルなど)もあったため、「未回収のイタリア」問題として第一次大戦まで尾を引くことになります。

 

 
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