コンスタンティヌス1世とは何をした人?〜キリスト教を公認〜

コンスタンティヌスにより建てられた「コンスタンティヌスの凱旋門」

 

コンスタンティヌス1世の基本情報

 

本名:ガイウス・フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティヌス
称号:マクシムス(大帝)
誕生:270年頃セルビア
死没:337年ニコメディア
在位:306年 - 337年
王朝:コンスタンティヌス朝
政策:キリスト教の公認、ニケーア公会議での教義統一、コンスタンティノープル建設

 

コンスタンティヌス1世は4世紀初頭に活躍したローマ皇帝で、初めてキリスト教を公認し、かつ改宗した皇帝として知られています。現セルビアのニシュ出身。ペルシア遠征を始めとする軍功で名声を高め、テトラルキア(四帝統治)のもと西の副帝、正帝を務めたのち、テトラルキア(四分統治制)を廃し、単独統治者として君臨しました。
即位後はディオクレティアヌスの方針を引き継ぎ、帝国の分裂と混乱を沈静化し、専制君主制を確立。その他ゲルマン人兵士・将校を増やしローマのゲルマン化を促進、キリスト教公認・ニケーア公会議で教義の統一、後の東ローマ帝国の首都および正教会の総本山で、自らの名にちなむ「コンスタンティノープル」の建設などなど、数々の大改革により後世ヨーロッパ史に最も重大な影響を与えた皇帝となりました。

 

コンスタンティヌス帝のミラノ勅令とは

先帝であるディオクレティアヌスは、キリスト教徒の大迫害を行いましたが、それでもキリスト教徒の増加を抑えることはできませんでした。そこで313年コンスタンティヌス帝とリキニウス帝の両帝がミラノにて発したキリスト教公認の勅令がミラノ勅令です。

 

この勅令によりキリスト教の迫害禁止はもちろんのこと、教団の法人化が認められ、迫害により没収された財産の回復などが定められました。

 

キリスト教誕生以来続いた迫害の歴史に終止符が打たれ、ヨーロッパ文化を構成する重要な要素にキリスト教という要素が加わることとなる、ヨーロッパ史における非常に画期的な出来事といえます。

 

なお正確にはミラノで勅令が発せられたわけではなく、両皇帝がミラノで結んだ協定にもとづき、リキニウスがニコメディア(現トルコのイズミット)で発した勅令となります。