クレタ文明とミケーネ文明の違いは、おおまかに、栄えた場所、民族、社会状況、使用文字などの点が挙げられます。
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クレタ文明を担った人々の民族系統は不明です。一方ミケーネ文明はギリシア人の一派であるアカイア人により担われたことがわかっています。
クレタ文明の中心地クレタ島と、ミケーネ文明の中心地ペロポネソス半島
クレタ文明はギリシア本土南方、エーゲ海最南端のクレタ島で栄えた文明で、ミケーネ文明はギリシア本土のペロポネソス半島で栄えた文明です。
クレタ文明の宮殿は壁などない開放体な作りでしたが、ミケーネ文明の宮殿は堅固な壁で覆われているという違いがあります。これはクレタ文明下では敵からの攻撃の恐れがなく平和的だったのに対し、ミケーネ文明は戦闘的で、常に敵に攻め込まれる危険があったという、社会状況の違いを示しています。
ミケーネ文明での「敵」とはドーリア人、つまり後のギリシア人であったろうと考えられています。
クレタ文明は線文字A、ミケーネ文明は線文字Bを使用していました。線文字Bに関してはかなり解読が進み、古いギリシア語方言を表記するのに用いられたことがわかっていますが、線文字Aに関してはいまだに未解読です。
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