ジェノヴァ共和国の終焉を決定づけたウィーン会議とは

ジェノヴァ共和国は数世紀にわたり地中海地域で大きな影響力を持っていましたが、19世紀初頭のウィーン会議がその終焉を決定づけました。ウィーン会議は、ナポレオン戦争後のヨーロッパの再編成を目指したものであり、その中でジェノヴァ共和国はサルデーニャ王国に併合されることとなり、復活の目は完全に断たれました。では、具体的にウィーン会議がどのようにジェノヴァ共和国の終焉を決定づけたのか見ていきましょう。

 

 

ウィーン会議とは

ウィーン会議は、1814年から1815年にかけてオーストリアの首都ウィーンで開催された国際会議で、ヨーロッパの政治的な地図を再編することが目的でした。この会議は、ナポレオン戦争に終止符を打つとともに、それによって混乱したヨーロッパの秩序を回復しようと試みました。

 

ジェノヴァ共和国の終焉

ジェノヴァ共和国は、フランスの支配から解放された後の1814年に再建されましたが、その独立は短命でした。1815年のウィーン会議で、ジェノヴァはサルデーニャ王国(後のイタリア王国)へと編入されることが決定され、事実上ジェノヴァ共和国は解消されたためです。

 

その後のジェノヴァ

しかしジェノヴァがサルデーニャ王国、次いでイタリア王国の一部となった後も、その重要性は変わりませんでした。その理由は、ジェノヴァが地中海地域の主要な港としてその役割を続け、またイタリア統一の過程で一定の役割を果たしたからです。

 

ジェノヴァ共和国の終焉は、ヨーロッパ全体の政治情勢が大きく変わる中で決定されました。ウィーン会議はその象徴的な出来事であり、ジェノヴァ共和国はそこで自身の独立を喪失し、サルデーニャ王国(後のイタリア王国)の一部となりました。その後もジェノヴァは重要な港としての役割を果たし続け、ヨーロッパの歴史にその名を刻み続けました。しかし、その政治的な形態はウィーン会議を境に大きく変わったのです。