中世イタリア王国と1861年成立のイタリア王国は別物?

イタリアの歴史を学ぶ上で重要なポイントの一つが、中世のイタリア王国と1861年に成立したイタリア王国との関連性について理解することです。この二つはどちらも「イタリア王国」という名前を持つ国家ですが、その内容や形態は大きく異なります。では具体的に何が違うのでしょうか?

 

 

中世のイタリア王国

中世のイタリア王国は、イタリア中部から北部にかけて、神聖ローマ帝国の一部として存在しました。この時代のイタリアは多くの都市国家によって分断されており、統一国家としての概念はあまり存在していませんでした。この分断状態は、文化や商業が発展する一方で、政治的統一を阻害する要因となりました。

 

中世イタリア王国は、カール大帝がランゴバルド王国を攻め落とした後、774年、「イタリア王」を宣言したことで成立しました。その後10世紀に神聖ローマ帝国領に属し、以後イタリア王は神聖ローマ皇帝が兼ねることとなりました。

 

1861年のイタリア王国

一方、1861年のイタリア王国はリソルジメント(イタリア統一運動)によって誕生しました。この運動は、イタリアの全土を一つの国家として統一するという目的を持っており、その結果としてサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が初代イタリア国王となり、各地の小国や都市国家が統合されてイタリア王国が成立しました。

 

この違いから、中世のイタリア王国と1861年のイタリア王国は、全く別の国家として考えるべきです。その形態、背後にある政治的な概念、存在した歴史的な背景が大きく異なるからです。

 

したがって、中世のイタリア王国と1861年に成立したイタリア王国は、その成立の背景や国家の形態が大きく異なるため、別物と考えるべきです。これはイタリアの歴史を理解する上で重要な視点となります。中世のイタリア王国が都市国家の連合体であったのに対し、1861年に成立したイタリア王国は、各地の小国や都市国家を統合した統一国家であったのです。