ポーランド・リトアニア共和国とロシアの連合国家構想が存在した?

ポーランド=リトアニア共和国とは、15世紀から16世紀にかけて全盛期を迎え、ヨーロッパにおいて強い影響力をもっていたリトアニアとポーランドの連合国家です。

 

一方隣接するモスクワ大公国は1547年にロシア一帯を統一、イヴァン雷帝がツァーリの称号を自称したことで、ロシア・ツァーリ国となり、ポーランド・リトアニア共和国との国境地帯では衝突が繰り返されるようになりました。

 

そんな中で、ポーランド・リトアニア共和国の貴族により、お互いに敵対するのではなく、両国の連合国家を形成し平和を実現しようという提案がなされ、想定された連合国家は

 

  • ポーランド・リトアニア・モスクワ共和国
  • 三国連合
  • ポーランド・ロシア連合
  • ポーランド・モスクワ連合

 

などと呼ばれています。

 

この連合案が実現すれば、両国に平和がもたらされるだけでなく、人々の移動の自由化や経済流動化など多くの恩恵が得られることが期待されていました。

 

連合に向けて両国は何度も話し合いを続けましたが、延々と利害が衝突したことで妥結にはいたらず、実現されることはありませんでした。

 

どうしても折り合いのつかなかった一因として、ロシア側がポーランド側が連合の条件として出した宗教的寛容、移動の自由化を受け入れることができなかったことが挙げられます。ロシアは前者で正教が駆逐され、後者で自国の農民がポーランドに流出することを懸念していたためです。