ポーランド=リトアニア共和国とは、15世紀から16世紀にかけて全盛期を迎え、ヨーロッパにおいて強い影響力をもっていたリトアニアとポーランドの連合国家です。ロシア(当時はロシア・ツァーリ国)とは16世紀半ば頃から衝突を繰り返すようになりましたが、やがて国内の貴族から、「お互い敵対するのではなく、両国の連合国家を形成し、平和を実現しよう」という声があがるようになるのです。
その中で想定された連合国家は
などと呼ばれ、実現すれば、両国に平和がもたらされるだけでなく、人々の移動の自由化や経済流動化など多くの恩恵が得られることが期待されていました。
ポーランド=リトアニア共和国とロシアの連合に向けて両国は何度も話し合いを続けましたが、延々と利害が衝突したことで妥結にはいたらず、実現されることはありませんでした。
どうしても折り合いのつかなかった一因として、ロシア側がポーランド側が連合の条件として出した宗教的寛容、移動の自由化を受け入れることができなかったことが挙げられます。ロシアは前者で正教が駆逐され、後者で自国の農民がポーランドに流出することを懸念していたためです。
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