ゲーリングとは何をした人?〜ゲシュタポの創設者〜

ゲーリング

 

ゲーリングの基本情報

 

氏名:ヘルマン・ゲーリング
誕生:1893年ローゼンハイムにて
死没:1946年ニュルンベルクにて(死刑直前に服毒自殺)
判決:絞首刑
官職:空軍司令長官
実行政策:ゲシュタポ(国家秘密警察)創設、軍備拡大

 

ゲーリング(1893年‐1946年)はドイツの政治家・軍人で、ナチス最高幹部の一人。ヒトラー政権の成立や権力拡大の影の立役者として知られる人物です。

 

第一次世界大戦ではパイロットとして活躍し、1921年ミュンヘンにてヒトラーの演説を見て彼に心酔。翌年ナチスに入党しています。23年ミュンヘン一揆に参加し、失敗により亡命生活を送るも、ナチスの影響力増大にともない帰国を果たします。その後国会議員に選出されると、人脈の広さを活かして、ヒトラーを財界・軍部などの上流階級に結び付け、ナチスの党勢拡大と権力基盤の構築に貢献しました。

 

33年ヒトラー政権が樹立すると、プロイセン内相に任ぜられ、ゲシュタポ(国家秘密警察)を創設し、軍備拡大を推進。39年にはヒトラーの後継者に指名されるほど、高い地位を確立しました。しかし第二次大戦が始まると空軍司令長官としての失態でヒトラーから信頼を失っていき、最終的に前官職をはく奪されています。戦後、ニュルンベルク軍事裁判で絞首刑を宣告されるも、執行2時間前に独房内で服毒自殺しました。

 

ゲーリングの娘

ゲーリングにはエミー・ゲーリングという妻がおり、娘のエッダ・ゲーリングは1938年2人の間に生まれた子供です。ゲーリングの自殺後は母エミーと共にミュンヘンで暮らし、その後はアメリカに移住し、夫と2人で暮らしているといいます。

 

「水晶の夜事件」を引き起こすなど民族浄化の片棒を担ぐ大罪を犯したゲーリングですが、判決の直前の面会で、娘エッダの姿を見た時は涙を流したといわれていますので、人の心はあったようです。