東ローマ帝国で信仰されていた宗教は?

宗教は古くから集団さらには国家を形成する中で大変重要な意味を持ってきました。

 

社会の安定化を目指す上で宗教は大きな影響を与え、とくに時の権力者よって大いに利用されました。

 

これは良い意味で言えば「国が1つになれる」と捉えられますが、悪い意味では「下の者を操れる」「独裁者が生まれる」というふうにも捉えられます。

 

そして、なによりも宗教が人々に与えるものは自分の信じるもの以外は排除するという考えが生まれることです。

 

現代では「政教分離」と「信仰の自由」がありますが、古代から中世にかけては政治の裏では宗教が存在し絶えず争いが起こってきました。

 

そんな性質をもつ宗教は東ローマ帝国にどんな影響を与えたのか解説していきます。

 

 

東ローマ帝国で信仰されていた宗教は?

395年にローマ帝国が東西分割する形で誕生した東ローマ帝国は、ローマ帝国の国教でもあったキリスト教を国教としました。

 

これはローマ帝国を継承するという意味もありました。

 

東ローマ帝国においては皇帝が宗教上の最高決定権を握っていたと言われており、当時のキリスト教の中心地はローマでしたが、東ローマ帝国の首都であったコンスタンティノープルはローマに次ぐ第二位の序列を認められていました。

 

しかし、7世紀に入りイスラム教が成立すると宗教間の対立が増え11世紀にはキリスト教は東西に分裂します。

 

西方がローマを中心としたローマ=カトリック教会、そして西方が東ローマ帝国のコンスタンティノープルを中心とする正教会です。

 

以降、東ローマ帝国ではコンスタンティノープル総主教庁があるコンスタンティノープルを中心に正教会(ギリシア正教会)を信仰していきました。

 

なんでキリスト教は分裂した?キリスト教とイスラム教

なぜキリスト教は分裂してしまったのか。その大きな理由にイスラム教の成立があります。

 

7世紀にイスラム教が成立すると、東ローマ帝国の東方にはイスラム教国家が起こり帝国に多くの影響を与えました。

 

キリスト教とイスラム教で1番の違いは「偶像崇拝」を認めているかいないかですが、当時の帝国ではイスラム教が浸透してきており、偶像の崇拝を批判する人々が出るようになっていました。

 

そこで、726年に皇帝レオン3世は聖像禁止令を出し聖像を破壊することを命じます。

 

一見するとイスラム教と同じに見えますが、これはイスラム教の浸透を抑えるために本来のキリスト教信仰(聖像崇拝の禁止)に帰るというものでした。

 

また、聖像崇拝を続ける教会の土地を没収することで、イスラム国家と戦う軍資金にするという狙いもありました。

 

しかし、この禁止令によってキリスト教カトリック教会とは対立関係になってしまいました。

 

これ以降、カトリック教会とは関係の修復と悪化を繰り返しながら、最終的には11世紀に相互破門という形で分裂しました。

 

東ローマ帝国と縁を切ったカトリック教会は、800年にはフランク王国のカール大帝をローマ皇帝として戴冠し、フランク王国との関係を強めていきました。