陶片追放は確かに僭主の出現を防ぎ、古代ギリシア民主政の安定において効果はあったかもしれませんが、しだいに政敵を地位から引きずり下ろすための政争の手段として悪用されるようになります。
僭主の典型とされるペイシストラトス(前6世紀頃〜前527年)。不法な手段で権力を握った独裁者ではあったものの、善政(農民救済・文化保護など)により彼の治世下のアテナイ経済は安定していた。
本人が独裁者になるつもりがなくとも、その有能さ故に疎まれたり、警戒され追放されることもあったので、アテナイ衰退の一因は、陶片追放により、国の発展に資する人材を切り捨て過ぎてしまったことにある・・・とする説も存在します。
いずれにせよ陶片追放の利よりも弊害のほうが大きくなったので、紀元前417年を最後に行われなくなり、「僭主の出現を防ぐ」という同様の機能は理性的な弾劾裁判制度にとって代わられるようになりました。
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