ロシア帝国崩壊の原因は?

ロシア帝国は、1721年ピョートル1世が皇帝の称号を冠してから、1917年ロシア革命でロマノフ朝が崩壊させられるまで存続した国家です。現ロシア連邦の前身といえる国家で、首都はペテルブルグにありました。

 

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全盛期

ロシア帝国は、18世紀以後、西欧の文化や制度を積極的に吸収していくことで発展を遂げていきました。エカチェリーナ2世(在位:1762年〜1796年)の時代には帝国の領土をポーランドやウクライナにまで拡大し、ヨーロッパ列強の一角として国際社会で強い影響力を行使するようになりました。

 

衰退

18世紀末、産業革命と市民革命により西欧は近代社会への転機を迎えており、ロシアは相対的に地位を低下させていくことになります。

 

とりわけ英仏が支援するオスマン帝国とのクリミア戦争における敗北は、ロシア帝国の工業力やインフラなどが西欧に大きく後れを取っていることを露呈させる結果となりました。

 

崩壊

19世紀に入りロシア革命の時代に入り、帝政の基盤が揺らぎます。ドゥーマ(国家)を設立するなどして改革を行いましたが、第一次世界大戦の参戦により深刻な経済不況に陥り、戦中の1917年二月革命が勃発。ロマノフ朝のニコライ2世が退位に追い込まれたことでロシア帝国は崩壊しました。