ロシア帝国崩壊の原因は?

ロシア帝国は、18世紀以後、西欧の文化や制度を積極的に吸収していくことで発展を遂げていきました。とりわけエカチェリーナ2世(在位:1762年〜1796年)の治世には最盛期を迎え、ヨーロッパ列強の一角として、国際社会をリードする存在となるのです。

 

 

帝国の衰退

しかし19世紀半ばになると、産業革命と市民革命を経て近代化を遂げた西欧諸国に対して、立ち遅れが目立つようになります。それを象徴づけたのがクリミア戦争(1853年〜1856年)における敗北です。

 

クリミア戦争においてロシア黒海艦隊が無力化される結果となったセヴァストーポリ包囲戦

 

クリミア戦争は不凍港獲得のため南進を続けるロシアと、それに反発するオスマン帝国との間で勃発した戦争ですが、ロシアの増長を危惧した英仏など西欧諸国がオスマン帝国を支援した為に、西欧と比較したロシアの工業力・インフラの後進性を露呈させる結果となったのです。

 

帝国の崩壊

西欧に対する後進性の露呈は、国内の自由主義者を勢いづける結果を招き、第一次ロシア革命(1905年)を誘発します。政府はドゥーマ(国家)を設立するなどして平定を図りましたが、第一次世界大戦参戦にともなう深刻な不況がとどめとなり、1917年、第二次ロシア革命でロシア帝国は崩壊したのです。