フランス革命は絶対王政の打倒と、身分制の廃止を目指して起こされたもので、別に王の処刑を目指していたわけではありませんでした。国王ルイ16世は急進的な革命勢力には憎まれてはいたものの、国民からはそれなりに人気があったためです。
ではなぜあんな末路を遂げたのかというと、ヴァレンヌ逃亡事件により「国民を見捨て外国に国を売った王」として国民に見放されてしまったことが大きいです。
この事件により、最初はかなりの勢力であった立憲君主制支持派のフイヤン派(ラ=ファイエットやバルナーブなど)が没落し、急進勢力のジャコバン派が権力を掌握したのが彼の運の尽きでした。
フランス革命で悲惨な末路を辿るルイ16世
ロベスピエールらジャコバン派は、少しでも反革命と思われる者は、次々容赦なくギロチンにかけていくほど、強行過激な共和制支持派だったので、彼らが権力を握った時点でルイ16世の処刑は避けられないものとなったといえます。
|
|
|
|