神聖ローマ帝国がハプスブルク帝国とも呼ばれる理由とは?

神聖ローマ帝国とハプスブルク帝国の違い

神聖ローマ帝国とハプスブルク帝国の違いは、前者が諸侯連合で後者がハプスブルク家の世襲国家である点にある。しばしば重なるが、帝国全体と王家の支配領域は一致しなかった。本ページでは、両者の関係や政治的構造、ヨーロッパ国際関係を理解する上で重要なこのテーマについて、より詳しく探っていこうと思う。

神聖ローマ帝国がハプスブルク帝国とも呼ばれる理由とは?

神聖ローマ帝国がハプスブルク帝国とも呼ばれるのはなぜですか?

神聖ローマ帝国は16世紀以降ハプスブルク家が皇帝位を独占し、最盛期を迎えたため「ハプスブルク帝国」と呼ばれるようになりました。


ハプスブルク家はもともと13世紀以降オーストリアを中心とした地域を所領とし、積極的な婚姻政策で勢力を拡大。1457年からは神聖ローマ帝国の領邦の1つオーストリア大公国の統治者として君臨しました。


フリードリヒ3世(在位:1440~1493年)
ハプスブルク家5人目の神聖ローマ皇帝。彼の治世からハプスブルク家は事実上皇帝位を独占し、オーストリア征服を足掛かりに「ハプスブルク帝国」を築き上げていった。

出典:Wikimedia commons Public domainより


同時期、レコンキスタを完了させたスペイン王国は大航海時代の先駆けとなり、「地理上の発見」によりその勢力図をアフリカ、アメリカ大陸、フィリピンなど世界中に広げていました。


そして帝国内におけるオーストリア、そしてハプスブルク家の存在感が高まっていく中で、マクシミリアン1世(在位1493~1519)が婚姻政策によりスペインを併合したことで、ハプスブルク世界帝国を実現するに至ったのです。