ウィレム・バレンツとは何をした人?~「バレンツ海」の語源となった人物~

ウィレム・バレンツとは

ウィレム・バレンツは16世紀オランダの航海者であり探検家であった。北極航路探検で名を残しバレンツ海の名称の由来となったことで知られる。本ページでは、このあたりのバックグラウンドと後世への影響について詳しく掘り下げていく。

ウィレム・バレンツとは何をした人?~「バレンツ海」の語源となった人物~


ウィレム・バレンツの基本情報

 

表記:Willem Barentsz
誕生:1550年頃神聖ローマ帝国
死没:1597年ノヴァヤゼムリャ
功績:バレンツ海の探検/スバーバル諸島の発見


ウィレム・バレンツ(1550年頃 - 1597年)はオランダの航海者で、「バレンツ海」の語源となった人物です。北極海を通り、アジアへと出る北東航路を見つけるため1594年アムステルダムを出発し、1596年スバーバル諸島に到達しています。しかしその後、航海の途中で氷に閉じ込められてしまい、越冬の末、1597年船を放棄しボートで引き返そうと試みるも道半ばで死亡しました。1871年、バレンツが越冬した小屋と日記の一部が発見されています。



ウィレム・バレンツの生涯

1550年頃 誕生

神聖ローマ帝国ネーデルランド17州テルスヘリング(現オランダ領)に生まれる。


1594年 北東航路探検

北極海経由でヨーロッパからアジアに到達できる北東航路開拓のためアムステルダムを出航する。ノヴァヤゼムリャまで到達したところで引き返した。


1596年 スヴァーヴァル諸島を発見

北東航路開拓のため3度目の航海に出る中で、スヴァーヴァル諸島を発見し、スピッツベルゲン島と名づけた。


1597年 死去

探検の最中氷に閉ざされ船が閉じ込められてしまう。越冬後やむなくボートで帰還を目指したが、バレンツはノヴァヤゼムリャ付近で力尽き命を落とした。


1871年 バレンツの日記の発見

バレンツが越冬した家が完全な形で発見され、75年にはバレンツの日記の一部が発見された。