パリ講和会議でなぜ民族自決の原則が唱えられたのか

パリ講和会議で民族自決の原則が採用され、主に東欧諸国を独立させたのはなぜですか?

パリ講和会議ではアメリカ合衆国大統領ウィルソンにより「民族自決」が提唱され、ロシア帝国・ドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊で、空白地帯となった国々を独立させています。

 

パリ講和会議で独立を果たした国

  • ポーランド
  • チェコ・スロバキア
  • ユーゴスラビア
  • ハンガリー
  • エストニア
  • ラトビア
  • リトアニア
  • フィンランド

 

独立させた理由としては、第一次世界大戦というのは、帝国が強行した民族の保護(支配)がきっかけで起こったようなものなので、同じ轍を踏まないための予防策・・・

 

というのもありましたが、実際には敗戦国の勢力下にあった国を独立させ脅威をそぐ、という目的が強くありました。

 

そのため東ヨーロッパに適用された「民族自決」の原則は、英仏など戦勝国が持つアジアやアフリカの植民地には適用されなかったのです。民族自立を尊重することなどより、独立を許して広大な海外領土を失うことの方が大事だったのですね。

 

こういった背景があるので、しょせん民族自決の理念というのは、報復と懲罰を行うための方便として利用された側面もある、というのは知っておきましょう。