第二次世界大戦後、イタリアは王政を廃止し共和国となり、キリスト教民主党を中心とする長期政権が続いた。冷戦期には共産党も強い影響力を持った。本ページでは、さらに政党再編や汚職事件などの経過についても詳しく解説していく。

イタリア南北問題の原因
南北問題は産業構造の違い、歴史的発展の格差、インフラ不足などが原因である。南部は農業依存度が高く経済発展が遅れた。本ページでは、さらに政策対応や社会的影響などについても詳しく解説していく。
イタリアの北と南では経済格差、つまり生活水準に差があります。ミラノ、ジェノヴァ、トリノなど、重工業都市として早くから発展を遂げた北部は裕福な一方で、ナポリやシチリアなど工業化に出遅れた南部は、いまだに一次産業が中心で経済的に低迷しています。南部の失業率は北部の4倍といわれ、正社員などはほとんどおらず、日雇労働で暮らしている人が多いのが実情です。そしてまともな生活が送れないために他国に出稼ぎにいったり、移民になる人も多く、さらに困窮した若者が南部を拠点とする反社会組織に引き抜かれてしまうという悪循環も起きています。
南部住民は収入が少ないため、あまり多く税金を払えず、その分北部住民が多く負担する形になってしまっているのが現状です。仕方のないことではありますが、北部住民の中には重税が自分達の地域に還元されないことに不満を抱く人も多いです。そしてその不満を利用し、北イタリアの独立により、北の富を南に流さないようにしようと訴え、南北分離を唱える「北部同盟」などという過激な政党が支持されるなど、この問題の根は深く、国民の分断、地方差別にまで繋がっているのです。
南北問題の根本的解決には南部の貧困解消が喫権の課題ですが、近年は電子・情報産業の発達などにより一次産業からの依存脱却もみられ、失業率も改善傾向にあり、まだまだ予断は許さないものの、将来への見通しはそこまで悲観するものではないと思います。
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