東ローマ帝国の公用語は何語だった?

東ローマ帝国の公用語

東ローマ帝国の公用語は初期はラテン語だったが、7世紀以降はギリシア語が主となった。行政、文学、宗教儀礼の多くがギリシア語で行われた。本ページでは、このあたりの歴史的背景とヨーロッパ文化との関連について詳しく掘り下げていく。

東ローマ帝国の公用語は何語だった?

東ローマ帝国の公用語は何語だったのですか?

東ローマ帝国ローマ帝国の東方領土として成立した国家なので、成立初期(4世紀末~6世紀)の公用語は古代ローマ帝国時代と同じラテン語でした。


しかし時代が下るごとに、もともとギリシア人地域だった故にギリシア化が進み、領内でラテン語の重要性は低下。5世紀中には、東ローマの役人にとってラテン語習得はもはや必須条件ではなくなっていました。


それでも伝統重視で公式の行政文書などは引き続きラテン語で書かれていたのですが、620年、東ローマ皇帝ヘラクレイオス(在位:610~641年)は正式に公用語がラテン語からギリシア語に変わったことを承認したのです。


なお東ローマ帝国が、首都コンスタンティノープルの古代ギリシア時代の名称「ビザンティオン」に由来する「ビザンツ帝国」という国号で呼ばれるようになったのは、この公用語変更以降の話です。


ギリシャ文字が刻まれたアンティーク