東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の政治と宗教の関係

東ローマ帝国の政治と宗教の関係

東ローマ帝国では皇帝が教会運営に強い権限を持つ皇帝教皇主義が支配的だった。宗教政策は国家統治の重要な柱とされた。本ページでは、このあたりの歴史的背景とヨーロッパ文化との関連について詳しく掘り下げていく。

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の政治と宗教の関係

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)における政治と宗教の関係性についてわかりやすく教えてください。

教皇権が世俗君主に対して優位にあった西方キリスト教世界に対し、東方の教会(正教会)はあくまで東ローマ皇帝の庇護下にあり、ローマ教皇ほどの強権は持っていませんでした。しかしだからといって東では教会が皇帝に完全服従していたかというとそうではありません。


9世紀にバシレイオス1世が発布した法律書『エパナゴゲー』で、教義の最終決定権は教会会議にあると定め、例え皇帝でも教会会議の承認を得ずに教義を決定することはできないとしています。


『エパナゴゲー』を発布したバシレイオス1世


皇帝教皇主義ではなかった?

長らく東ローマ帝国では、皇帝が教会を強く統制する「皇帝教皇主義(カエサロパピスム)」が敷かれていたと考えられていましたが、近年これは否定的にみられ、東ローマ帝国において皇帝と総主教は、役割が違う(皇帝は物質的幸福を、総主教は精神の安寧を与える存在)だけで、どちらが上とか下とかいう関係でもなかったと考えられているのです。