イタリアの戦後政治史まとめ

戦後の1946年に行なわれた国民投票で王制を廃し、共和制に移行したイタリア。50年代から60年代にかけ「奇跡的」と称される経済成長を遂げるも、共産主義勢力と反共勢力の対立、政治犯によるテロ活動、マフィアの台頭など、政治的にずっと混乱状態にあったため、その道のりは順風満帆とはいえませんでした。90年代に入り政治家の汚職やマフィアの摘発など大規模な政界再編が行なわれ、第二共和政に移行したことでようやくイタリア政治は安定期に入ったのです。ここではそんなイタリアの戦後政治史を簡単にまとめています。

 

 

 

イタリア戦後政治史

冷戦時代の幕開け(40年代〜)

戦後、東欧諸国が社会主義国家ソ連の強い影響下に置かれましたが、イタリアは対ソ連を意識した北大西洋条約機構に加盟(1949年3月)し、アメリカを中心とする西側諸国の一員として立場を明確にしました。その結果、イタリアは東西冷戦の最前線に立たされることとなり、東側で国境を接するユーゴスラビアとは領土問題で対立しました。

 

イタリア経済の奇跡(50年〜60年代)

イタリアでは、戦時中反ファシズムを訴え、ムッソリーニ失脚に貢献したイタリア共産党の影響力が強く、反共政党との対立によりイタリア政情は不安定な状態が続きました。その一方、アメリカの経済支援策マーシャル・プランの恩恵を受け、「イタリア経済の奇跡」と評される経済成長を遂げ、イタリアはヨーロッパの大国として国際的に重要な位置を占めるようになるのです。

 

鉛の時代(70〜80年代)

70年代から80年代初頭は「鉛の時代(イタリア語: Anni di piombo)」と呼ばれています。「赤い旅団」と呼ばれる極左組織による政治家を始めとした誘拐・殺人の発生、極右団体による反共煽動を目的とした、フォンターナ広場爆破事件(69年)、ボローニャ駅爆破テロ事件(80年)といった無差別テロ事件の発生、政治家とマフィアの蜜月化など、政情不安定がピークに達しました。

 

アルド・モーロ首相暗殺(1978年)

極左テロ組織「赤い旅団」がアルド・モーロ首相を人質として拉致し、政府が赤い旅団の逮捕者の釈放要求に応じなかったため殺害されています。赤い旅団は70年代初頭から活動を開始し、西欧同盟(欧州連合の前身)からの離脱を主張して、ジャーナリストや政治家、裁判官などの殺害事件を起こしていました。

 

ボローニャ中央駅爆弾事件(1980年)

1980年、ボローニャ中央駅で一般市民を巻き込んだ爆弾テロ事件が起こり、85人が死亡、200人以上が負傷しています。当初は事故によるものと考えられていましたが、爆心地近くで金属片とプラスチック片が発見されたことで、テロ事件だとわかりました。

 

P2事件(1981年)

多くの政治家や軍人、実業家らが、極右秘密結社「ロッジP2」のメンバーとして、国内の反共ムードを高めることを目的に、前述のテロ活動に関わっていたことが発覚。この事件は「P2事件」と呼ばれ、イタリアのみならずヨーロッパ中をゆるがす国際スキャンダルになりました。

 

第二共和制の開始(90年代〜)

1991年にはソ連が崩壊し冷戦も終結。それにともない、政財界の汚職(タンジェントポリ)捜査「マーニ・プリーテ」が活発化し、400人以上の政治家が訴追され、汚職政治家が次々失脚。初の非政治家内閣が誕生するなど、イタリア政界の大変革が起こりました。そのため、マーニ・プリーテが行なわれた1992年から、現在に続くイタリアの政体はしばしば第二共和政と呼ばれます。