アントニウスとクレオパトラの会合
アントニウスの基本情報
本名:マルクス・アントニウス
愛人:クレオパトラ
誕生:前83年
死没:前30年エジプト
地位:執政官(前44年,前34年)
政策:第2回三頭政治の結成/反カエサル派の掃討
アントニウス(前83年 - 前30年)は共和政末期の政治家・軍人で、オクタウィアヌス、レピドゥスとともに第二回三頭政治を組織し、晩期にはクレオパトラと結びオクタウィアヌスと政争を繰り広げた人物として知られます。
カエサルの側近としてガリア戦争などで武功を積み、カエサル暗殺後、オクタウィアヌス、レピドゥスとともに第二回三頭政治を行い反カエサル派と戦いました。しかし反カエサル派を一掃した後はオクタウィアヌスと対立し、愛人クレオパトラの援助を得て、ローマの覇権確立を目指しますが、前31年アクティウムの海戦で敗れ、エジプトに敗走したのち自殺しています。
アントニウスといえばクレオパトラとの愛人関係で有名ですが、二人の関係は、アントニウスが東方遠征のためにプトレマイオス朝エジプトの支援を得ようと、クレオパトラに接近したのが始まりです。
クレオパトラに夢中になるあまり、エジプトに留まり続け、ローマを全く顧みなくなったので、ローマ人からのアントニウスの評判は悪くなっていきました。アレクサンドリアをローマの首都にするつもりなのかという噂が立ったほどです。
クレオパトラとの関係が深くなっていったことで、第二回三頭政治も崩壊し、オクタウィアヌスと離別。前31年にはオクタウィアヌスから宣戦布告を受け(ただし名指しされたのはクレオパトラのみ)、アクティウムの海戦での敗北により自殺しました。
このようにアントニウスはクレオパトラとの恋で身を滅ぼしてしまったのであり、その生涯はウィリアム・シェイクスピアにより『アントニーとクレオパトラ』という題名で戯曲化されています。
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