ペイシストラトスとは何をした人?〜僭主の典型として知られる〜

 

ペイシストラトスの基本情報

 

地位:僭主
関係者:ソロン
誕生:前600年頃
死没:前527年
功績:商工業・農業振興、小農民保護

 

ペイシストラトス(前6世紀頃 - 前527年)は古代ギリシア・アテナイの政治家で、僭主の典型として知られる人物です。「ソロンの改革」で知られるソロンとは親類にあたります。

 

前565年頃、対メガラ戦争における軍事指揮官としての活躍で名声を得て、その名声を背景に「山地党」の政治家としても支持基盤を固めていきました。反対派との激しい政治争いに打ち勝ち、前546年に僭主政を確立。重役を一族で固めるなどして独裁権力を築き上げました。

 

しかし彼はそれを悪用するのではなく、あくまで商工業・農業振興や小農民保護など国民のために行使したので、ペイシストラトス政権におけるアテナイ経済は「クロノスの世(黄金時代)」と呼ばれるほどに繁栄し、ギリシア世界におけるアテナイの覇権を確立した功績が認められているのです。

 

ペイシストラトスの僭主政治とは

ペイシストラトスは僭主政治を行ったことで有名です。僭主政治とは、古代ギリシアの民主政移行への過渡期に現れた独裁政治体制のこと。貨幣経済の発展にともなう。貴族と平民の対立が激化する中で、民衆の望みに応える形で台頭してきたものと覚えておきましょう。

 

これは古代ギリシア全体でみられましたが、アテナイのペイシストラトスのそれは特に典型とされます。彼はクーデターで政権を握り、僭主政治を開始しましたが、農民救済や文化保護、土木工事など、基本的には民衆の為の政治を行ったため、政権は長期安定し、死ぬまで権力を維持していました。

 

不法な手段に出たのも、権力を奪取する時のみで、あくまで法にのっとった政治を行っていたのも長期政権の要因といえます。しかし僭主の地位を世襲した息子ヒッパルコスとヒッピアスは悪政を行ったため、民衆からの反発が強まる中で失脚し、僭主性は終焉。古代ギリシアは民主政へ移行していったのです。