ゲルマン民族のフランク人によって建国されたフランク王国。481年にクローヴィス1世が建国し、カール大帝の時に最盛期を迎えた同王国は843年のヴェルダン条約、870年のメルセン条約によって国が分裂。この分裂によって出来た国は現在のフランス・ドイツ・イタリアの起源となりました。つまりフランク王国は、現在の西ヨーロッパ全域を国土としていた国です。
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481年、建国当時のフランク王国の領土は、現在のベルギーとドイツ西部の一部を含む程度の大きさでした。しかし、建国者クローヴィス1世の代から周囲の諸部族を服属させ領土を広げていき、没後511年までには南はフランス北部・西部・中部、東はドイツ南西部まで支配下に治める大国となっていました。
8世紀入るとカール大帝が外征を積極的に行い、800年にはフランスとドイツの全域、さらにはスイス・スロベニア・チェコ・オーストリアといった中央ヨーロッパまで支配下に置きました。これは現在のイベリア半島、ブリテン島、東欧、北欧を除く全てのヨーロッパを治めたことになります。
フランク王国の最大版図
840年にルートヴィヒ1世(カール大帝の子)が亡くなると、843年にヴェルダン条約が締結され王国は分裂します。この条約によってルートヴィヒ1世の息子達
が成立しました。
さらに870年にはメルセン条約が締結され王国は再分割されます。この条約は後継問題などで揺れていた中フランク王国を再分割した条約です。これにより現在のフランス・ドイツ・イタリアの国境の原形が形成されました。
メルセン条約で定められた国境。青色の領域がフランス、赤色の領域がドイツ、緑色の領域がイタリアの原形となった。
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