神聖ローマ帝国

神聖ローマ帝国と自称し、そしていまだにそうしているこの集団は、 いかなる点においても神聖でもなければ、ローマ的でもなく、ましてや帝国ですらない。

 

ヴォルテール著『歴史哲学序論 -諸国民の風俗と精神について-』より

 

神聖ローマ帝国は、10世紀から19世紀にかけて、ドイツ語圏(現在のドイツ、オーストリア、スイスなどにまたがる領域)に存在した領邦国家の共同体です。この「帝国」の台頭にともない、ヨーロッパ史においてドイツの存在が重要なものになっていくのです。

 

 

神聖ローマ帝国の皇帝

成立から11世紀初頭まではザクセン朝が皇帝位を相続していました。その後ザリエル朝、シュタウフェン朝へと代わり、13世紀に大空位時代(有力な皇帝が不在だった時代)を経て、「選帝侯」と呼ばれる人々が皇帝を選ぶ制度が確立。15世紀以降はハプスブルク家がほぼ皇帝位を世襲するようになりました。

 

神聖ローマ帝国の国号

正式な国号は「ドイツ民族の神聖ローマ帝国」で、西ローマ帝国の正統な後継者を名乗っていました。ただしこの国号が使われるようになったのは13世紀以降からで、末期には単に「ドイツ帝国」と呼ばれていました。

 

神聖ローマ帝国の体制

最初こそフランク王国時代の流れを汲み、中央集権的な政治体制が敷かれていましたが、11世紀以降は封建化が進み、強い自治権を持つ複数の領邦で構成される連邦国家、わかりやすくいえば「ドイツ領邦の寄合所帯」という性質の集団に変わりました。

 

「神聖ローマ帝国領」はドイツを中心にオーストリア・チェコ・イタリア北部にまでおよんでいたものの、各領邦の独立性が強く、国号の示すような帝国的性格はあまり強くなかったのが実情です。なお神聖ローマ帝国領邦の独立性の強さは、各地域が独立した行政機関を持つ現在のドイツにも受け継がれています。

 

神聖ローマ帝国の歴史

帝国の成立

962年、現在のドイツおよびオーストリアの領域にあたる東フランク王国の国王オットー1世が、ローマ教皇より戴冠を受けたことで成立しました。11世紀ザリエル朝時代に全盛を迎えますが、その後は叙任権闘争を経て皇帝権が低下し、イタリア政策で領内に領邦国家が分立するようになったことで、帝国的(中央集権的)な性格は失われていきました。

 

帝国の形骸化

1517年、ルターの『95ヶ条の論題』提出をきっかけに宗教改革が勃発。以後帝国領内、領邦間で宗教対立に起因する争いが激しくなっていきます。そして最後で最大の宗教戦争といわれる三十年戦争(1618〜48年)を経て、ウェストファリア講和(1648年)が締結されると、各領邦は完全な国家主権を獲得。これで神聖ローマ帝国は国家としての統一性を失い、「帝国」としては完全に形骸化してしまったのです。

 

帝国の消滅

ナポレオン戦争(1803〜15年)が勃発すると、皇帝ナポレオンの圧力の中、南ドイツ16連邦が神聖ローマ帝国からの脱退を宣言、ライン同盟(1806年)という新たなに創設されたドイツ同盟に加盟します。これをうけ最期の皇帝フランツ2世が退位の決意をし、神聖ローマ帝国は名実ともに消滅しました。

 

その後旧帝国領にはプロイセンオーストリアが勃興し、ドイツにおける主導権をめぐり争うようになります。

 

 
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