15世紀半ばから始まる大航海時代の先駆けとなったのはポルトガル・スペインであり、当時のヨーロッパでイギリスはあまり目立つ存在ではありませんでした。しかし、16世紀後半から17世紀にかけて、イギリスは急速に力をつけ、海洋帝国として台頭することになります。ここでは、イギリスが大航海時代において台頭した理由について詳しく見ていきます。
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ヘンリー8世(在位1509〜1547)の時代に、イギリスは少し遅れて絶対王政を確立し、航海・探検の支援を行う体制が整いました。ヘンリー8世は海軍の強化に努め、多くの船を建造しました。これにより、イギリスは海洋国家としての基盤を固めることができました。
エリザベス1世(在位1558〜1603)の時代には、イギリスはさらに積極的に海洋探検を推進しました。エリザベス女王は海賊行為を容認し、スペインやポルトガルの船を略奪する私掠船(私設海賊)を支援しました。この政策により、イギリスは莫大な富を得て、あっという間にヨーロッパ屈指の強国の座に躍り出ました。
1580年には、イギリスの探検家フランシス・ドレークが、南アメリカのホーン岬やドレーク海峡を発見するという偉業を成し遂げました。また、1588年にはアルマダの海戦でスペインの無敵艦隊を撃破し、イギリス海軍の優位性を確立しました。
国力をつけたイギリスは、1600年にイギリス東インド会社を設立し、アジアへの進出を開始しました。東インド会社は貿易独占権を与えられ、アジアでの交易活動を積極的に展開しました。
初期にはポルトガルやスペインがアジア貿易市場を支配していましたが、イギリスはこれらの先駆者たちを駆逐し、アジア貿易の主導権を握るようになりました。東インド会社はインド、東南アジア、中国との貿易を拡大し、莫大な利益を上げました。この貿易活動により、イギリスはさらなる経済的繁栄を遂げ、大航海時代における主要な海洋帝国としての地位を確立しました。
イギリスが台頭したもう一つの理由は、技術革新と経済基盤の強化です。造船技術の進歩や航海術の発展により、イギリスの船はより長距離を航行できるようになりました。さらに、商業革命と呼ばれる経済の発展により、国内の資本が増大し、海外探検や貿易の資金源となりました。
これらの要因が相まって、イギリスは大航海時代において台頭し、17世紀以降には広大な植民地を持つ「大英帝国」として君臨することになります。イギリスの海外進出と海上覇権の確立は、ヨーロッパ、そして世界の歴史に大きな影響を与えました。
イギリスの台頭は、絶対王政の確立、海洋探検の支援、エリザベス1世の海賊政策、東インド会社の設立、技術革新と経済基盤の強化など、多くの要因が重なった結果です。これにより、イギリスは大航海時代において重要な役割を果たし、後の大英帝国の基盤を築きました。
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