厳密に定められているわけではありませんが、だいたい1860年代頃から第一次世界大戦の勃発する1914年までの期間に行われた工業化を指して、第二次産業革命と呼びます。
第二次産業革命期の重要な進歩は、生産技術の変化にあります。特に、製鉄業におけるベッセマー法の導入は、鉄の大量生産を可能にし、これにより、鉄道網の急速な拡大や橋梁の建設が加速し、交通と物流の効率化が実現しました。
また、工業化の進展は都市の急速な成長を促し、農業中心の社会から工業中心の社会への移行を加速させたので、この時期の技術革新は、現代社会の基礎を築いたと言って良いでしょう。
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第二次産業革命の特徴としては、第一次のように石炭ではなく、石油や電気をエネルギー源とした重化学工業の技術革新が進んだ点が挙げられますね。
第二次産業革命を牽引したディーゼルエンジンの発明者ルドルフ・ディーゼル(1858 - 1913)
石炭で動く蒸気機関に代わり、石油を燃料とした内燃機関が登場し、ガソリンエンジン、ディーゼルエンジンの発明に繋がりました。
第二次産業革命のもう一つの特徴は、通信技術の革新です。電信や電話の発明は、世界各地の情報伝達を格段に速くしました。また、海底ケーブルの敷設により、大陸間の通信が可能となり、世界は「グローバル化」の第一歩を踏み出しました。これらの通信技術の進展は、国際貿易の拡大や政治的な協調を促し、後の世界的な経済・政治の動きに大きな影響を及ぼしました。
この時代のもう一つの顕著な特徴は、消費文化の台頭です。大量生産により様々な商品が安価に提供され、広告やデパートなどの新しい販売手法が現れました。これは、消費主導の経済モデルへの移行を示唆しています。人々の生活スタイルは、ただ生きるための生産から、より良い生活を求める消費へとシフトし、現代の消費社会の原型が形成されました。
第二次産業革命により原料の供給地たる植民地の重要性はいっそう増加し、1870年代以降、アジア・アフリカなどを舞台に、欧州列強による熾烈な“陣取り合戦”が繰り広げられるようになりました。いわゆる「帝国主義」の時代が到来したのです。
とりわけ第二次産業革命の主役となったドイツ帝国が、「世界政策」と呼ばれる膨張を推し進め、英仏などとの対立を深めたことは、第一次世界大戦の要因の一つとなりました。
第一次世界大戦では、第二次産業革命による技術革新で、武器・兵器の殺傷能力が上がっていたこともあり、史上最大規模の何百万人という死傷者が発生しました。
第二次産業革命は、社会構造にも大きな変化をもたらしました。工業化の進展に伴い、多くの人々が農村から都市へと移動し、新たな労働者階級が形成されました。これにより、都市部では人口密度が高まり、都市計画や公共衛生の問題が顕在化しました。また、工場労働者の増加に伴い、労働条件の改善や労働組合の結成など、労働者の権利を求める運動も活発化しました。
また、第二次産業革命は教育と科学の発展にも寄与しました。工業化に伴い、専門的な知識や技術が必要とされるようになり、より多くの人々に教育の機会が提供されました。科学と技術の進歩は、新たな学問分野の発展を促し、大学や研究機関の重要性が高まりました。この時代には、化学、物理学、生物学など多くの科学分野で重要な発見がなされました。
一方で、第二次産業革命は環境にも影響を与えました。大量生産と工業化の進展により、大気汚染や水質汚濁といった環境問題が顕著になりました。石炭や石油の大量消費は、温室効果ガスの排出を増加させ、後の地球温暖化問題の遠因となりました。これらの環境問題は、今日に至るまで続く持続可能な発展の課題として、世界的な関心を集めています。
第二次産業革命は、19世紀後半から20世紀初頭にかけての世界に大きな変化をもたらしました。この時代の技術革新は、工業、通信、交通の領域において画期的な進歩を実現し、現代社会の基盤を築きました。大量生産と消費文化の台頭は、経済と社会の構造を根本的に変え、新たな労働者階級の出現や教育・科学の進展を促しました。しかし、これらの進歩には代償もあり、環境問題や資源の搾取、植民地主義の拡大などの問題が生じました。第二次産業革命は、私たちが現在直面している多くの課題に対する理解を深め、未来への教訓を提供しています。
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