グレゴリウス1世とは何をした人?〜西欧世界の統一を守る〜

 

グレゴリウス1世の基本情報

 

異名:大教皇/大グレゴリウス
誕生:540年頃ローマ
死没:604年ローマ
在位:590年9月3日 - 604年
政策:優れた外交手腕で西欧世界(カトリック文化圏)の統一を守る。

 

グレゴリウス1世(540年頃 - 604年)はローマ出身のローマ教皇で、その偉大な功績によりレオ1世とともに「大教皇」と称される人物です。四大ラテン教父の1人で「大グレゴリウス」とも。ローマの貴族の家に生まれ、修道士として過ごし、590年ローマ教皇に就任。就任後は主にイギリスへの伝道や貧民の救済に尽力しました。

 

そして彼の治世は西ローマ帝国崩壊後、異民族の侵入が相次ぐ激動の時代でしたが、乱立する部族国家に対し優れた外交手腕で関係を構築し、西欧世界(カトリック文化圏)の統一を守った功績は計り知れません。伝説上では初代ローマ教皇はペテロとされますが、教皇領の基礎を築いたという意味で、事実上の初代ローマ教皇はグレゴリウスなのです。

 

グレゴリウス1世の布教活動

グレゴリウス1世はゲルマン人への布教を行った人物です。西ローマ帝国という保護者が滅亡して約100年。生き残りの為に新たな有力者との結びつきを作る必要が生まれました。6世紀末のヨーロッパには西ゴート王国、ランゴバルド王国、フランク王国などゲルマン人の部族国家が栄えたので、グレゴリウス1世はここに目を付け布教を行ったのです。

 

大陸ヨーロッパを飛び越えてブリタニアにも修道士を派遣し、アングロ・サクソン族への布教も行っています。

 

ゲルマン国家も国を統治するのに宗教的統制は役に立つとみて、修道院を積極的に誘致してくれたので、見事ゲルマンとローマ教会のウィンウィンの関係が築かれました。このようなことから中世ローマ教会の権威を確立させ、教会国家の基礎を築いた功績から「最初の中世的教皇」と呼ばれているのです。