ウォルポールとは何をした人?〜責任内閣制を確立した初代首相〜

 

ウォルポールの基本情報

 

全名:ロバート・ウォルポール
異名:プライム・ミニスター(閣僚の第一人者)
誕生:1676年にて
死没:1745年にて
地位:首相
政策・実績:責任内閣制の確立、重商主義、平和外交

 

ウォルポール(1676年 - 1745年)はイギリスの政治家で、責任内閣制を確立した初代首相として有名な人物です。ケンブリッジ大学卒。世襲により議員に選出され、1701年にホイッグ党の議員に。17年からはハノーヴァー朝ジョージ1世のもとで首相をつとめ、政治に無関心な王が政治をウォルポールに委任したため、初めて議会に責任を負う責任内閣制が成立し、その体制下における最初の首相となったのです。

 

1721年の南海泡末事件後の混乱を収めたことで名声を得て、以来42年までの長期にわたり政権を担っていくことになります。その長期政権の間に、内政面では重商主義に基づく国内産業保護、対外的には平和外交政策を展開しました。

 

ウォルポールと責任内閣制の成立

ウォルポールはイギリス責任内閣制の創始者として知られています。責任内閣制とは、議会の多数派が内閣を組織し、内閣は議会に対して責任を持つ・・・という政治原則のことです。「国王に対して」ではなく「議会に対して」というところが重要で、内閣は議会に支持された範囲で政治を行うため、君主制といえど権力の集中が防がれています。

 

当時の国王ジョージ1世は英語をあまり理解していなかったので、ウォルポールの組閣した内閣が閣議を主催し、閣議を統制、議会の承認した立法の範囲で政治を担当することになったのが始まりです。ウォルポール内閣の総辞職後もこれがイギリス議会政治の慣習となり、19世紀以降は他の多くの国にも取り入れられ、近代政治における議会と政府のあり方として定着していきました。