イギリスにおける1848年革命

当時のイギリスは、18世紀の産業革命を経て、劇的な工業化と海外市場拡大(植民地帝国建設)により繁栄の頂点にあった為、ウィーン体制の維持にそこまで積極的なわけではなく、1848年革命に関して、比較的冷めた目で見ていました。

 

その一方で、工業化社会形成にともなう産業資本家の台頭で、腐敗選挙区など選挙制度の不平等が問題になっていました。そのため、二月革命の影響を受けて、労働者階級による選挙法改正を求める運動(チャーティスト運動)が高まりをみせたのが大きいでしょう。

 

48年4月にケニントン広場に数万人の労働者が集まり、570万の署名、国民請願書が下院に届けられたのです。しかし議会は請願を拒否。労働者はストライキで抵抗を続けるも弾圧され、運動の急進化や指導者の逮捕・投獄もあり、運動は衰退していきました。

 

なおイギリスにおける選挙法改正運動は「人民憲章」の請願はじめ、30年代から続いていたもので、イギリスの労働者が体制に立ち向かう様は、大陸ヨーロッパの自由主義者達に大きな影響を与えています。