ハンガリーにおける1848年革命

ハンガリーは17世紀までオスマン帝国の支配を受けていましたが、1699年カルロヴィッツ条約以降オーストリア領でした。19世紀以降、オーストリア支配への不満は高まっていたところ、1848年3月、二月革命の影響を受けて、コシュート・ラヨシュが先頭に立ち、オーストリアからの独立や農奴制の撤廃などを求める市民革命(ハンガリー革命)が巻き起こります。

 

三月革命で追い詰められていたオーストリア皇帝は、ハンガリーが提示した改革要求「十二か条の要求」を受け入れ、立憲君主制憲法制定や国会の設立、言論・出版・報道の自由、封建制廃止などを認めました。

 

しかし当時のハンガリーは多民族国家。議会・政府で多数派のマジャール人のみが実権を握っていたことに、クロアチア人など他の民族の不満が噴出します。オーストリア皇帝はこの民族対立を利用して、反革命を画策し、ハンガリーに軍隊を出動。ロシアの援軍もあり、49年8月には革命勢力を完全に鎮圧してしまいました。