フランス復古王政の特徴

復古王政とは、1814年のナポレオン失脚から1830年の七月革命まで続いた、ブルボン王朝によるフランスの政体です。ここでは王政復古にいたった背景や、王政復古時の出来事について解説していきます。

 

 

復古王政の前史

フランス革命でブルボン朝のルイ16世が処刑され、200年以上にわたって続いたブルボン王政が崩壊。1792年、革命政府によってフランス第一共和制が樹立されました。さらにその約10年後にあたる1804年には、ナポレオン・ボナパルトが皇帝に即位することでフランス第一帝政が開始されるなど、フランス革命以来、ブルボン家はフランス国家元首の座を追われ続けていたのです。

 

復古王政の成立

ナポレオンはフランス革命の理念を広げるべく、ヨーロッパ征服戦争(ナポレオン戦争)を開始し、そ一時は大陸ヨーロッパ全土を支配下に置くほどの勢いがありましたが、ロシア遠征での大敗を機に劣勢を強いられるようになります。1814年にはパリが陥落し、配下の裏切りも重なり、ナポレオンは失脚・エルバ島に流されてしまいました。その後、フランスの外相タレーランの働きによってブルボン王朝の復権が決定され、ルイ16世の弟であるルイ18世が王位についたのです。

 

復興王政の治世

ナポレオン退位とともに幕をあけた復古王政時代ですが、保守反動的なルイ18世の治世は国民から全く支持されず、それを好機と見てエルバ島から脱出したナポレオンに一時君主の座を奪還される始末でした。幸いナポレオンの返り咲きは百日天下に終わり、ルイ18世は王位に復帰出来ましたが、その後も貴族や聖職者を優遇する旧態依然とした政策方針で、ナポレオン派の人々を弾圧したため、人々はますます不満を高めていったのです。

 

復古王政の終焉

1824年ルイ18世が死去すると、弟のシャルル10世が王位を継承。彼もまた、旧亡命貴族の保護や、ナポレオン派の人々を過激に弾圧したため、市民階級の人々の不満は募る一方でした。アルジェリア侵攻などで不満を逸らそうとするも効果はなく、危機に瀕したシャルル10世は、1830年、代議院の解散と選挙人を最富裕層に限定する選挙法改正、出版の自由の制限などを盛り込んだ「七月勅令」を発します。

 

七月革命

しかしこれが火つけとなりパリの民衆が蜂起を開始。街頭にバリケードを築き、次々と国の主要機関を占領していきます。この七月革命により、シャルル10世は退位に追いやられ、代わり「国民王」として名高いルイ・フィリップが国王に擁立。立憲君主制へと移行し、七月王政(オルレアン朝)の開始とともに、フランスの復古王政は幕を閉じることとなったのです。

 
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