フランク王国と西ローマ帝国の関係や違いとは?

フランク王国と西ローマ帝国の関係や違いを教えてください。

まず西ローマ帝国というのは、395年テオドシウス帝の死の死後、東西に分割統治されることとなったローマ帝国の西方領として成立した国です。ローマ帝国は前1世紀中に地中海世界全域やガリア(おおむね現フランス)を支配下に治め、ラテン文化を根付かせることで、ヨーロッパ文明の原型を作りました。

 

赤色の領域が西ローマ帝国の版図

 

しかし4世紀後半以後、北方のゲルマン民族が大規模移住を開始し、ローマ帝国領内に大挙。ローマは東西に分裂し、西ローマ帝国は民族大移動がもたらす社会的混乱に耐えきれず476年に滅亡してしまいました。

 

西ローマ帝国からフランク王国へ

そしてフランク王国というのは、この民族大移動期に、ガリアに定着したフランク人に建国された国です。西ローマ帝国の滅亡から間もない481年、フランク一派サリ族のクロービスが、ガリアに住むフランク諸部族を統一することで成立しました。

 

フランク王国はあくまでゲルマン人を主体とした王国ですが、西ローマ帝国のラテン文化を継承・発展させ、西ヨーロッパの文化的基盤を形成したという点は非常に重要です。

 

フランク王国の最大版図(800年頃)。西ローマ帝国成立初期にはおよばないものの、現在の西ヨーロッパ全域を支配下におさめていた。