ヘンリー・ハドソンの基本情報
表記:Henry Hudson
誕生:1560年頃イングランド
死没:1611年以降
後援:オランダ東インド会社
功績:ハドソン湾,ハドソン川の発見
ヘンリー・ハドソン(1560年頃 - 1611年以降)はイギリスの航海者および探検家で、彼の名にちなみ名付けられたハドソン湾の発見者として有名です。1609年オランダ東インド会社の依頼を受け、航海に出発。北西航路を探検した末、北アメリカ東海岸の湾、川を発見し、「ハドソン湾」「ハドソン川」と自分の名をつけたのです。さらに探検を委託したオランダ東インド会社が、ハドソン川河口にニューアムステルダムを建設し、これが今日のニューヨークの基礎となっています。ハドソンは、1611年船員の反乱にあい、ボートに置き去りにされて以降消息不明となりました。
ハドソンの出生と幼少期についてわかっていることはほとんどないが、この年にイングランド王国に生まれたと考えられている。船乗りとしてのキャリアはキャビン・クルーとして始まったという。
モスクワ公国との貿易を独占するイングランド最初の勅許会社モスクワ会社に雇われる。北極海を経由したヨーロッパ〜中国航路の開拓を依頼され、同年船出するも、海氷に閉ざされ先に進めなかった為、イングランドに引き返した。
オランダ東インド会社に雇われて、アメリカ大陸の北を回りアジアへ到達する北西航路の開拓を依頼される。オランダのもとアメリカ東海岸探検に取り組む中で、現ニューヨーク州を流れ大西洋に注ぐ川を発見する(1609年)。
ハドソン川と命名されたこの川の河口には、1625年ニューアムステルダム(後のニューヨーク)が建設された。
イギリス東インド会社に雇われて、4度目の航海に出発し、同年6月ついに北西航路を発見する。翌月にはカナダ北部の巨大な湾ハドソン湾を発見した。
反乱を起こした乗組員に船を奪われ、小舟に置き去りにされる。その後の消息は不明。
|
|
|
|