マクシミリアン1世とは何をした人?〜婚姻政策による領土拡大〜

マクシミリアン1世

 

マクシミリアン1世の基本情報

 

渾名:「中世最後の騎士」「マクシミリアン大帝」
誕生:1459年オーストリア大公国、ウィーナー・ノイシュタット
死没:1519年オーストリア大公国、ヴェルス
在位:1486年 - 1493年
王朝:ハプスブルク朝
政策:芸術の保護振興、帝国裁判所の設置、婚姻政策による領土拡大

 

マクシミリアン1世はハプスブルク家第6代神聖ローマ皇帝で、中世から近世への過渡期に君臨し、芸術の保護に熱心であったことから「中世最後の騎士」とも呼ばれる人物です。父フリードリヒ3世の治世から政治に関与し、1508年父の死にともない即位。内政では帝国裁判所の設置をはじめとした帝国改革に取り組み、外政ではネーデルラントの継承権をめぐりフランスとの抗争を繰り広げました。彼は在任中ドイツの領邦化を促進し、帝国の統一性と皇帝の権威を低下させた一方で、婚姻政策により全ヨーロッパに領土を拡大しハプスブルク帝国の基礎を築いたために「マクシミリアン大帝」とも呼ばれています。

 

マクシミリアン1世の功績

ウィーン少年合唱団の前身を作る

マクシミリアンは旅路に合唱団を同行させ、旅先や旅の間に演奏させていました。この楽団のメンバーは後にウィーン王宮礼拝堂の合唱団に加わることとなり、ウィーン少年合唱団へと発展していきました。

 

婚姻政策

ブルゴーニュ公シャルル(豪胆公)が戦争で死亡した後、その娘マリと結婚したことで、ネーデルラントおよび東部ブルゴーニュをハプスブルク家の所領とすることに成功しました。また孫をスペインおよびポーランドの王女と結婚させることで、スペイン、ボヘミア、ハンガリーの王位継承権を獲得し、ハプスブルク家隆盛の基礎を築きました。