アブルッツォ州の歴史

アブルッツォ州の歴史

アブルッツォ州は古代サビニ人やマルシ人の居住地で、ローマ帝国に編入された。中世には封建領主や修道院の勢力下で発展し、後にナポリ王国に統合された。本ページでは、アブルッツォ州の歴史的変遷や社会的特徴、地域文化を理解する上で重要なこのテーマについて、より詳しく探っていこうと思う。

アブルッツォ州

アブルッツォ州のボルゴ(古い集落のこと)


アブルッツォ州(伊:Abruzzo)は、イタリア中部・アドリア海沿岸に広がる毛織物産業がさかん地方です。州都は学問の街ラクイラ。アペニン山脈最高峰コルノ・グランデ(標高2,912m)を擁し、州面積の6割以上が山岳地帯。グラン・サッソやマサラ山地といった国立公園も包括する、東の山と西の海の恵みを受けた緑豊かな地方として知られます。


アブルッツォ州の歴史

「アブルッツォ」という地方名は、古代ローマ時代の「アブルティウム(Aburutium)」という呼称に由来し、ローマ時代は首都ローマとアドリア海沿岸都市を結ぶためのインフラが、高密度に整えられていました。西ローマ帝国滅亡後は、シチリア王国の支配を受けるようになり、その治世のもと現在の州都ラクイラが建設されたのです。


近代以降

ナポレオン戦争後の1816年、シチリア王国とナポリ王国の統合により両シチリア王国が成立。アブルッツォ地方もその支配下に入るも、イタリア統一運動(リソルジメント)の末同国は滅亡に追い込まれます。そして1861年、イタリア統一の完成によりイタリア王国が成立し、アブルッツォ州も同国の一部として歩みを進めていくことになりました。