イギリスが植民地開拓に参入したのは17世紀からで、まだスペインが手を付けていなかった北アメリカ東部やカリブ海諸島への植民から始まりました。
1607年のヴァージニア植民地の建設に始まり、18世紀中頃までに「13植民地」が建設されています。13植民地〜アフリカ〜イギリス本国を結ぶ「三角貿易」はイギリスに莫大な利益をもたらし、パックス=ブリタニカ時代を体現しました。
三角貿易の交易ルート
アメリカ独立後も植民地支配の重心をインド(イギリス植民地時代はインド帝国)に移すことで、富は蓄積され続け、18世紀後半に始まる産業革命の原動力となります。
そして産業革命の進展とともに、工業製品製造の為の「安価な労働力・原料を得られる市場」としてアフリカに価値が見出され、19世紀後半、ケープ植民地に拠点を起きアフリカの植民地化を開始(アフリカ分割)したのです。
アフリカ分割が招いたこと
イギリスでは植民地を正当化することは非文明圏を文明化させる「白人の責務」として正当化されていましたが、アフリカを舞台に身勝手に行われた、欧州列強による「陣取り合戦」は、アフリカ民族の分断や対立を生み出し、その禍根は現在にまで続いています。
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