トルコの憲法の特徴

トルコの国旗

 

トルコの国土

 

トルコの憲法は「トルコ共和国憲法」といい、1982年に定められたことから「1982年憲法」とも呼ばれています。トルコ共和国憲法は、トルコを世俗的かつ民主的な共和国であると規定し、トルコ大国民議会に権利を委託する「トルコ国民」が、完全かつ無条件に主権を持つことを保障する内容となっています。

 

 

 

トルコの憲法の歴史

1876年 オスマン帝国憲法の成立

トルコの前身オスマン帝国において、成文憲法であるオスマン帝国憲法が成立した。イスラム世界で2番目の憲法典とされる同憲法では、帝国がスルタン=カリフ制を柱とすること、ムスリムと非ムスリムが平等であること、オスマン語(トルコ語)が公用語であること、皇帝は危険人物を国外追放できる権利を有することなどが定められていた。

 

オスマン帝国憲法は、憲法作成をリードしたミドハト・パシャの名にちなみ、ミドハト憲法とも呼ばれる。

 

1878年 憲法停止

アブデュルハミト2世(在位:1876 - 1909年)

 

皇帝アブデュルハミト2世が、露土戦争の敗北(非常事態)を口実に憲法を停止し、議会を閉鎖、反動的な専制政治(スルタンによる新政)を開始する。

 

1908年 憲法復活

オスマン帝国憲法(ミドハト憲法)復活を祝福する版画

 

知識人層の国内外での憲政復活運動が実を結び、青年トルコ人革命によって、憲政が復活。30年間の専制政治に終止符が打たれた。

 

1923年 トルコ共和国の樹立

1920年、トルコ革命の指導者ムスタファ・ケマルによって、第一回トルコ大国民議会が召集され、23年トルコ共和国の樹立が宣言された。オスマン帝国憲法に代わるトルコ共和国憲法が制定され、カリフ制の廃止が決定した。

 

1982年 トルコ共和国憲法の成立

クーデター後、権力を握った軍事政権により新憲法が作成され、国民投票により批准された。新憲法では、それまで短命の連立政権が続き、議会制民主主義が機能不全に陥っていたことへの反省から、軍や大統領の権限が大幅に強化された。