冷戦時代とは、アメリカを盟主とする西側資本主義陣営とソ連を盟主とする東側共産主義陣営の敵対による軍事的緊張状態であり、少しでも軍事的優位に立とうとする両陣営による核開発競争の時代でもあります。一触即発の状態の中、大げさではなく核戦争による世界滅亡まで危惧されていました。
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核兵器とは、原子核反応による生み出される膨大かつ爆発的なエネルギーを利用し、大量破壊や大量殺傷を行うことを目的とした兵器です。1945年7月に発明され、8月6日に広島に、9日に長崎にて実戦投入されています。
たった一発の爆弾により二つの都市は壊滅し、合わせて15〜24万人の人々が亡くなりました。冷戦とはこんな恐ろしい兵器の製造が繰り返された時代であり、開発競争の中で広島・長崎に投下されたものよりはるかに強力なものが作られていたのです。
核兵器は非常に低コストに、敵陣地に最大限の損害を与えることができる兵器であることは、日本への原爆投下で証明されていました。冷戦時代に核開発競争が激化したのは、少しでも多く強力な核兵器を持つことで軍事的優位に立とうとしていたからです。
冷戦初期、1949年にソ連が最初の核実験に成功し、アメリカとの核競争が始まりました。両国は次々と新型の核兵器を開発し、その破壊力を競い合いました。1952年、アメリカは最初の水素爆弾を実験し、1953年にはソ連もそれに続きます。水素爆弾は原爆の数百から数千倍の破壊力を持ち、核競争はますます激化しました。
核兵器の開発と保有は、単に相手国への攻撃手段としてだけでなく、相互確証破壊(MAD: Mutual Assured Destruction)という戦略理論に基づいていました。この理論は、もし一方が核攻撃を行えば、相手も報復攻撃を行い、双方が壊滅的な被害を受けるという抑止力の考え方です。これにより、核戦争は避けられるとされました。
1962年には政権交代で社会主義国となったキューバに、アメリカを射程圏に入れた核ミサイル基地が建設され、核戦争一歩手前の一触即発状態になりました(キューバ危機)。米ソ首脳の交渉によりなんとか危機を乗り切り、キューバからミサイルが撤去されたことで核戦争は回避されました。
その後米ソ両国は関係を大きく改善し、核兵器の制限へと舵を切ります。冷戦はデタント(緊張緩和)の時代に移行していったのです。
まとめると、冷戦時代に核兵器が開発された理由は、軍事的優位を確保し、相手国に対する抑止力を持つためでした。核兵器の破壊力とその抑止効果により、直接の軍事衝突は避けられましたが、その一方で世界は常に核戦争の危機に直面していました。冷戦の終結とともに、核兵器の廃絶に向けた努力が続けられていますが、依然として核の脅威は残っています。
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