アテナイは前8世紀頃に、王政から貴族政に移行してからというもの、少数の特権階級による支配が行われていました。ところが植民地の建設が進むと、本土と植民地との間で交易が活発化し、商工業の発展にともない、平民の中から「富める者」がでてきます。
するとどうなるかというと、一部の「富める者」は自前で武器を買い、重装歩兵として活躍できるようになるわけです。それまで政治は貴族が行うもので、いくらお金を持っていても、平民ならば蚊帳の外におかれていたのですが、命をかけて国の防衛に貢献した人々は、当然参政権を求めるようになります。
政治の世界でも特権を維持したい貴族と民衆派に分裂し、ソロンの改革などで不平等は徐々に解消されていきました。抵抗していた貴族も、国の防衛に欠かせなくなった存在を無下にもできないので妥協的になっていきます。
そして決定的となったのがペルシア戦争です。サラミスの櫂船などで、三段櫂船の漕ぎ手として勝利に貢献した下層市民の発言権が強まったことを受け、ペリクレスにより全ての市民が公職に立候補する権利が与えられ、アテナイの民主政は完成をみたのです。
アテナイのアゴラの遺跡。定期的に「民会(エクレシア)」が開催される政治の中心地で、民主主義には欠かせない市民交流の場でもあった。
|
|
|
|