ボルマン
ボルマンの基本情報
氏名:マルティン・ルートヴィヒ・ボルマン
誕生:1900年
死没:1945年ベルリン州
判決:絞首刑
官職:ヒトラーの個人秘書→親衛隊大将
実行政策:ヒトラーの側近として党務を掌握。絶大な権力を振るう。
ボルマン(1900年 - 1945年)はドイツの政治家で、ヒトラーの側近No1として権力を握り、ナチスの戦争犯罪に加担した人物として知られます。大戦末期に消息を絶ち、死亡したとも南米に亡命し生存しているともいわれていましたが、1972年ベルリンの工事現場で発見された人骨がボルマンのものと判明。口内に残された痕跡から死因は青酸による自殺と結論付けられました。彼は戦後すぐ欠席裁判でニュルンベルク裁判にかけられ、絞首刑を宣告されていますが、執行するまでもなくすでに死亡していたことになります。
ドイツ帝国プロイセン王国ザクセン州にて、郵便局員の子として生まれる。
第一次世界大戦中、18歳の時に陸軍第55砲兵連隊に入隊する。前線には出ずに、ニュルンベルクで将校の当番兵をしていた。戦後はメクレンブルクの農場で働いた。
農場の仕事を失業した後、ナチ党の機関紙の会計係として働くようになる。その流れで1927年ナチスに入党し、同党の突撃隊に加わった。
1933年 ナチスの副総統個人秘書兼官房長に
ナチスが政権を掌握すると、ボルマンは副総統個人秘書兼官房長に任命された。以後ヒトラーの側近として本格的に活動を始める。
軍務に専念するヒトラーに代わり、事実上党の運営を掌握していたボルマンは、41年5月には国務大臣に任命される。
総統秘書及び個人副官という地位を手に入れ、ヒトラーの秘書として影のように常に彼のそばをついて歩くようになった。
ゲッベルスにより、ドイツ本土防衛に備えて創設された国民突撃隊の指導者に任命される。
敗戦濃厚となったことでヒトラーが自殺し、ボルマンも後を追うように青酸カリを服毒し自殺した。
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