モンテスキューとは何をした人?〜三権分立の提唱〜


モンテスキューの基本情報

 

生年:1689年
没年:1755年
出身:アキテーヌ
死没地:パリ
別名:「社会学の父」
功績:三権分立の提唱

 

モンテスキュー(1689年 - 1755年)はフランス啓蒙思想家で、三権分立の提唱者として知られる人物です。絶対王政末期のフランス政治・社会を風刺した『ペルシア人の手紙』(1721年発刊)は大いに注目され、その後ヨーロッパ各国を遊学したのち、1731年フランスに帰国。1734年『ローマ人盛衰原因論』を、1748年三権分立の理論を説いた代表作『法の精神』を発刊し、専制政治を否定する彼の理論は、アメリカ合衆国憲法起草に影響を与えた他、フランス革命の大きな原動力ともなったという点で非常に重要です。

 

 

モンテスキューの偉業・功績

モンテスキュー最大の功績は、専制君主制(絶対王政)を否定し、均整と抑制による権力分立制の基礎を築いたことといえるでしょう。

 

彼はイギリスの制限君主制に習い、「権力を分割する統治形態でこそ政治的自由が担保される」と考え、著書『法の精神』(1748)の中で、政治権力を立法・行政・司法の3つに分割する三権分立論を提唱しました。

 

そしてこの三権分立の理論はアメリカ合衆国憲法にも影響を与え、そのアメリカ合衆国憲法はフランス人権宣言に影響を与えるなど、近代的な憲法理論形成に大きく寄与したのです。

 

モンテスキューの思想

モンテスキューは代表的な啓蒙思想として知られます。「啓蒙」とは民衆の「蒙昧」を理性によって「啓く」という意味で、啓蒙思想家とは批判的精神、懐疑と否定の精神を重んじ、思索から神話や迷信を廃した合理主義に基づき、社会革新を推奨する人々のことです。

 

17世紀の科学革命を経て、人間の理性に対する絶対的な信頼が生まれる中で、18世紀以降急速に普及していった考えで、絶対王政や教皇権、封建制など旧体制の根幹を突き崩し、近代ヨーロッパ社会への転換を促しました。