アンリ4世とは何をした人?〜ナントの王令でユグノー戦争に終止符〜


アンリ4世の基本情報

 

生年:1553年
没年:1610年
出身:ナバラ王国ポー
死没地:フランス王国パリ
別名:大アンリ、良王アンリ
功績:ナントの王令でユグノー戦争に終止符

 

アンリ4世(1553年 - 1610年)はブルボン朝を創始したフランス王で、「ナントの王令」を発した人物として有名です。プロテスタント勢力の総帥として活躍した後、アンリ3世の暗殺をうけ1589年即位。新旧両教徒の融和のために自身はカトリックに改宗し、1598年ナントの王令でプロテスタントの権利を認めることで、長年続くフランスの宗教紛争に終止符を打ちました。平和共存の道筋を敷き、国内の混乱を沈めたことで、フランス経済は飛躍的発展を遂げることとなり、その功績が高く評価され、大アンリ、良王アンリなどのあだ名で呼ばれるようになりました。

 

 

アンリ4世の偉業・功績

ブルボン王朝を創始

アンリ4世はフランス最後の王朝であるブルボン王朝の創始者でもあります。ユグノー戦争の最中、ヴァロワ朝が断絶したため、プロテスタントの王として即位しました。その後プロテスタントの王に反対する勢力が出てきて国が分裂したため、カトリックに改宗しています。

 

ナントの王令で宗教紛争に終止符

アンリ4世最大の功績といえば、やはりナントの王令の発布で、新教・旧教の宗教対立に終止符を打ち、フランスに統一と平和をもたらしたことといえるでしょう。だからこそ、その後は経済や財政の再建に集中することができ、後のフランス絶対王政を準備することとなったのです。

 

アンリ4世が人気の理由

アンリ4世は在位中から現在にいたるまで、歴代フランス君主の中でも、党派を問わず人気が高い国王です。その理由としてはやはり、宗教対立で分裂していたフランスの融和を実現し、戦争で疲弊した経済を建て直した業績が認められているためでしょう。

 

フランスで有名で人気な君主といえば、絶対王政を体現したルイ14世も筆頭としてあげられますが、彼はプロテスタントを積極的に弾圧したり、対外政策として侵略を強力に推し進めたりしたこともあり、もろ手を挙げて賞賛しづらいですよね。

 

対してアンリ4世はもともとプロテスタントとして弾圧される側であった上、即位後は信仰よりも新旧教徒の融和を優先しカトリックに改宗、さらに反対派も武力で弾圧するのではなく、抱きこんで味方につけることに努めていました。彼が人気なのはひたすら国民の融和とその生活状況へ配慮する姿勢が好感を持たれているためなのです。