
古代ローマとは、イタリア半島中部に位置した小さなポリスから、地中海世界全域を支配下にいれる大帝国にまで成長した国家の総称です。その歴史は、ローマ建国の前8世紀から、ゲルマン人により西ローマ帝国が滅ぼされる後5世紀まで続きました。
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それに対して古代ギリシアは、ローマのように周囲の自治体や民族を吸収し、1つの統一国家を樹立したわけではありません。
古代ギリシア世界一帯(バルカン半島やエーゲ海の島々など)には、アテナイやスパルタといったポリス(都市国家)が1000以上も自治独立して並存しており、政策方針はポリスの数だけ存在していました。
「古代ギリシア」は「国家」ではなく、同じ言語(古代ギリシア語)や宗教(ギリシア神話)を共有する「文化圏」であると理解しましょう。
ギリシャ諸ポリスは、時に外部の敵に対し共闘すること(例:ペルシア戦争)もありましたが、利害の行き違いで敵対すること(例:ペロポネソス戦争)はそれ以上に多く、基本バラバラでした。同盟は組んでも統合は求めなかったのです。
そして古代ギリシア内での覇権争いに終始したことで段々と疲弊していき、やがては統率力に勝るマケドニアやローマといった強大化した単一国家に支配されてしまうことになるのです。
また古代ギリシアポリスがローマのように統合に向かわなかったのは、各ポリスが共同体内部での内政問題でいっぱいいっぱいで、侵略や併合に割く余裕がなかったともいえます。
ローマは前2世紀にマケドニア王国を滅ぼして古代ギリシア世界を征服しますが、優れたギリシャ文化を手厚く保護し継承しました。政治的独立は失っても、文化は保たれ、ローマの勢力拡大にともないヨーロッパ文化の源流になったのです。
古代ギリシア世界の典型だったアテナイと、古代ローマの政治形態を比較すると、両者とも貴族政を打倒して民主政に実現させたという歴史は共通しています。
しかし両者の民主政は同じ民主政でも性質がだいぶ異なることに留意しておく必要があります。
ローマ社会は国家の統治機関である元老院が全ての実権を握っていました。元老院議員は一応は選挙で選ばれるのですが、一部の富裕層と有力な平民が元老院の議席を独占し、一般層の意見がなかなか反映されにくい状況でした。
アテナイでは基本的に貧富の差に関係なく、幅広い層が政治に参加することができました。これはアテナイが海洋国家として発展した為、貧民であっても漕ぎ手として重宝され、比較的平等な政治参加が可能だったからです。
アテナイにもアレオパゴス会議と呼ばれる、ローマの元老院のような国家機関はありました。しかし民主派の政治家ペリクレスがアレオパゴス会議の権限が次々と剥奪し、民会に権限を集中させたことで、ローマのように一部の有力者が権力を独占するということは防げていました。
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