シュペーアとは何をした人?〜ナチスの建築顧問〜

シュペーア

 

シュペーアの基本情報

 

氏名:アルベルト・シュペーア
誕生:1905年マンハイム
死没:1981年ロンドン
判決:禁固20年
官職:ナチス建築顧問、軍需大臣
実行政策:党大会会場の設計、新首都計画の主導

 

シュペーア(1905年 - 1981年)はドイツの建築家および政治家で、ヒトラー肝煎りの建築家として、ドイツの都市改造計画や官邸の設計を行ったした人物として知られます。バーデンのマンハイム出身で、もともとはナチ党員の建築技師に過ぎませんでしたが、ヒトラーにセンスが気に入られナチスの建築顧問に任命されます。その後党大会会場の設計・演出を手がけ、ヒトラー考案の、ベルリンを「世界の首都」とすることを目的とした新首都計画(通称「ゲルマニア」)を主導しました。さらに42年からは軍需大臣に任命され、軍需生産体制を整え、生産性を飛躍的に向上させています。彼の手腕によりナチスの軍事力が強化されてしまい、戦争が長引いたともいえ、戦後はニュルンベルク裁判で禁固20年の判決を受けています。

 

 

シュペーアの手がけた建築物

党大会会場

ナチス入党の翌年ナチス政権が樹立すると、党大集会の会場設計を依頼されました。対空サーチライトによる「光の大聖堂」演出、設計した彼自身が「射撃場のよう」と評するな斬新なデザインが評価され、34年には党主任建築家に任命されています。ヒトラーは会場が設けられたニュルンベルクを、帝国党大会の都市と宣言しています。

 

パリ万博のドイツ館

シュペーアは1937年にはパリ万博のドイツ館の設計も手がけており、そのデザインが評価され金メダルを受賞しています。向かいにはスターリン様式のソ連館が建てられていましたが、これは当時のナチスとソ連の国際社会における対峙を象徴していました。

 

世界首都ゲルマニア

実際に完成をみることはなく、ほとんど計画止まりではありましたが、ベルリンが「世界の首都」と讃えられるように、ヒトラーが大まかなデザインを考え、シュペーアが細部を設計した都市改造構想を「世界首都ゲルマニア」と呼びます。ヒトラーは1945年に戦争に勝利した後、50年にこの夢の都市を完成させたら、引退する予定であったといわれています。