ポルトガルの伝統のカスタードタルト「パステル・デ・ナタ」
15世紀末、ポルトガルはヨーロッパで真っ先に大西洋航路の開拓に乗り出し、大航海時代の先駆者となります。そして16世紀には、ポルトガル海上帝国とも呼ばれる広大な交易利権を築き上げ、ポルトガル本土に世界中から多種多様な食材がもたらされる中で、現在のポルトガル料理の基礎が固められていきました。
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ポルトガルの名物料理の一つに、「バカリャウ」と呼ばれる、捕れたばかりのタラを塩漬けし、数か月間天日干ししてカチカチに仕上げた干物があります。
タラは北海に生息する魚ですが、8世紀頃、海上交易を営む北欧バイキングにより、西ヨーロッパにもたらされています。
バイキングはタラを屋外で乾燥させ、日持ちする状態にしてから、ボートで運搬していました。
そして南部に豊かな塩田を擁するポルトガルは、精製した塩を交易品として、北欧からタラを仕入れていました。もともとポルトガルには伝統的に、魚の乾燥と塩漬け処理が行われていたので、これがタラに応用されバカリャウになったのです。
日持ちするバカリャウは、大航海時代における船乗りの食糧として重宝され、17世紀頃から、船乗りに限らない、日常食として食べられるようになりました。
ポルトガルの旧植民地国マカオでは、バカリャウ入りのコロッケやチャーハンが定番料理となっています。
ブラジルの国民食「フェジョアーダ」(黒豆と肉の煮込み)は、ポルトガル北部・ミーニョ地方の豆料理が起源です。その他にも、モザンビークや東ティモール、マカオ、アンゴラなどのポルトガル旧植民地各地で、独自の発展を遂げた「フェジョアーダ」が食べられています。
ポルトガルは、ヨーロッパでも特に米の消費量の多い国ですが、米が当たり前に食べられるようになったのは、わりと最近の話です。
米自体は、8世紀にイベリア半島に進出したアラブ人によりもたらされており、13〜14世紀のディニス1世(通称:農民王)の時代に稲作が開始されています。
しかしポルトガルは、あまり稲作に適した風土とはいえないので、その規模は限定的で、19世紀頃まで、米は一部のお金持ちの食べ物にすぎなかったのです。
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