オドアケルとは何をした人?〜西ローマ帝国を滅ぼす〜

オドアケルに帝冠を差し出すロムルス・アウグストゥス

 

オドアケルの基本情報

 

生年:433年
没年:493年
出身:不明
死没地:ラヴェンナ
称号:ゲルマン王、パトリキウス
政策:皇帝位撤廃による西ローマ帝国滅亡

 

オドアケル(433年 - 493年)は、西ローマ帝国を“滅ぼした”とされるゲルマン人の傭兵隊長です。この“西ローマ帝国の滅亡”は“古代”ヨーロッパから“中世”ヨーロッパへ移行する重要な画期とされており、これだけでも欧州史上極めて重大な役割を果たした人物であるといえます。なお彼がゲルマン人のどの部族であるかはヘルール族、テューリンゲン族など諸説あり、はっきりしたことはわかっていません。

 

 

オドアケルの歴史

375年以降、フン族の圧力を受けたゲルマン人の民族大移動が始まり、西ローマ帝国の領土へ頻繁に侵入するようになりました。しかし当時のローマ帝国は衰退期にあり国防が脆弱化していたので、相次ぐゲルマン人の侵入を完全に止めることはできません。そのため屈強なゲルマン人を兵として重用するなど、逆に受け入れていく方向に舵を切り、結果ローマ社会は急速にゲルマン化していくことになるのです。

 

西ローマ皇帝の廃位

しかしゲルマン化が進めば進むほど、“ローマ皇帝”の地位は形骸化して権威を喪失。古代ローマ末期における社会の実権はほぼゲルマン人の将軍が握るようになっており、オドアケルもその一人でした。そして476年、地位を確立したオドアケルは、即位してわずか1年の皇帝ロムルス・アウグストゥルスを退位に追い込み、帝政を廃止することで、西ローマ帝国を事実上滅亡させたのです。

 

オドアケルはなぜ西ローマ帝国を滅ぼしたか

オドアケル自身に、「西ローマ帝国を滅ぼす」という意識はなかったと思われます。そもそも彼は侵略者ではなく、西ローマ帝国の傭兵としてローマに仕えていた身。ローマの秩序を崩し、ゲルマン式の支配を確立したかったわけではありません。

 

 

確かに、ゲルマン兵の待遇への不満から、当時の皇帝ロムルス・アウグストゥスにクーデターを起こし、その結果、ロムルスは476年9月4日に皇帝位を放棄させられています。これだけ見ると確かに西ローマ帝国を滅ぼしたように見えますね。

 

オドアケルは労働争議を起こした?

しかし彼は西ローマ皇帝を廃位させた後、東ローマ皇帝ゼノに、「西ローマ帝国の領土を東ローマ帝国に献上するので、イタリアの統治権をください」と要求しています。つまりオドアケルは西ローマ帝国を滅ぼしたというより、地位向上を求める労働争議を起こし、4世紀末以降二分していたローマ帝国領を1つにしようとしていただけ、と見ることもできるのです。

 

しかしゼノは結局この要求を飲まなかったので、ローマ帝国は分裂したまま、西方領は皇帝不在の状態が続き、ゲルマンの部族国家の乱立とともに、結果的に東方領とは全く別の歴史を歩むようになった・・・というわけなのです。

 

「滅亡」表現の見直し

 

オドアケルが帝政を終らせたのは、西ローマ帝国での地位と権益を確保する為ですが、あくまでローマ時代の公職や政府機関はそのまま残し、廃位後も旧西ローマ帝国領の住民は「ローマ人」の自称を使い続けていました。当時オドアケルが持っていた認識としては「ローマ帝国を滅ぼす」というより、せいぜいが「仕組みを変える」程度のものであったと思われ、実際彼はローマの先進的な文化に感銘を受け、積極的にその保全に努めたくらいです。こういった背景から、近年の学問分野では「滅亡」という表現は誤解を招くとして見直そうという議論もあるのです。