マケドニア王アレクサンドロスの東方遠征で、ギリシア文化が小アジアやエジプトなどオリエント世界に拡散され、両地域文化の融合により生まれた文化をヘレニズ文化といいます。このヘレニズム文化が繁栄した300年間(アレクサンドロス大王の死(紀元前323年)から古代ローマが地中海世界を統一する(紀元前31年)まで)をヘレニズム時代と呼び、この時代には、ある特有の思想、考え方が台頭するようになりました。
ヘレニズム時代には古典時代の遺産の継承が積極的に行われるようになりました。ギリシア文化の中心はギリシア本土からアレクサンドリアやペルガモンへ移行し、そこに建設された図書館には古典作家の著作が集められ、古典文献学の研究が進んだのです。集められた著作は厳しく校訂されたのち、編纂され、後世に引き継がれていきました。
ヘレニズム時代は個人主義的な思想が台頭した時代でもあります。ポリス社会の崩壊により、「コスモポリタニズム」という、ポリス中心ではなく、世界的・普遍的な生き方の原理が求められるようになったのです。
エピクロスを創始者とするエピクロス派の「隠れて生きる」ことをモットーとする考え方や、ゼノンを創始者とするストア派の「自然にしたがって生きる」ことをモットーとする考え方、徹底的な幻術主義と刹那的快楽主義を説くが登場するなど、従来よりも思想に多様性がみられるようになりました。
ヘレニズムの思想は、今の多様性を重視するヨーロッパの価値観の原点ともいえることから、ヘブライズムとともにヨーロッパ文明の二大源流とされているのです。
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