フランツ2世
フランツ2世の基本情報
兼任:オーストリア皇帝、ハンガリー王、ボヘミア王
誕生:1768年トスカーナ大公国、フィレンツェ
死没:1835年オーストリア帝国、ウィーン
在位:1792年 ? 1806年
王朝:ハプスブルク=ロートリンゲン朝
政策:ポーランド征服
フランツ2世は最後の神聖ローマ皇帝で、ナポレオン戦争中、ナポレオン1世の圧力により退位に追い込まれた人物として知られます。トスカーナ大公国・フィレンツェ出身。1792年父帝の崩御にともない即位、革命勢力に一切の妥協をしない反動政策を推し進め、その一環として立憲体制への移行の動きをみせたポーランドを占領し滅ぼしています。また1804年には新たに獲得した領土を合わせオーストリア帝国を建国、オーストリア皇帝フランツ1世として即位しました。しかしその2年後、ナポレオンのライン同盟に傘下の南西ドイツ諸国が加わったことで、神聖ローマ帝国はもはや原型をなくし退位を余儀なくされたのです。
1795年、ロシア、プロイセンとともにポーランド分割に加わり、ポーランドの国土を消滅させました。
1813年、神聖ローマ帝国解体後、オーストリアの皇帝として対仏大同盟に参加し、ナポレオンに敵対しました。
1814年のウィーン会議後はメッテルヒに政治を一任し、正統主義にもとづく反動政治を推し進めました。
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