内乱の一世紀はいつからいつまで?

内乱の一世紀」は共和政ローマ末期において、ローマが閥族派と民衆派に分裂し、内乱や戦争が相次いだ時代のことです。ティベリウス・グラックスが死ぬ紀元前133年を始まりとし、オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)がプトレマイオス朝を滅ぼし、地中海世界を統一する紀元前30年が終わりとされています。英語では「共和政ローマの危機」と呼ばれ、その名の通り、ローマの共和政崩壊、帝政への移行をもたらしたのです。

 

 

内乱の一世紀の始まり〜グラックスの死〜

ロドヴィコ・ポリアギ作『ティベリウス・グラックスの死』

 

ティベリウス・グラックスは、民衆の生活改善に繋がる様々な改革を唱えましたが、利権を維持したい元老院保守派により暗殺されてしまいました。以来、元老院主導の政治を支持する閥族派(オプティマテス)と、グラックスの改革を支持した民衆派(ポプラレス)の対立が激化するようになり、内乱の一世紀が幕を開けたのです。

 

内乱の一世紀の終わり〜オクタウィアヌスによる地中海統一〜

オクタウィアヌスの勝利により、内乱の一世紀に終止符を打った戦い「アクティウムの海戦」

 

内乱の一世紀では、同盟市戦争、スパルタクスの乱、ローマ内戦など内乱が相次ぎました。最終的には名将カエサルの意思を継いだオクタウィアヌスが、閥族派を一掃することで内乱を終息させ、地中海世界を統一。アウグストゥスの称号とともに、独裁的な権力を得ることで、ローマを帝政に移行させたのです。