「内乱の一世紀」は共和政ローマ末期において、ローマが閥族派と民衆派に分裂し、内乱や戦争が相次いだ時代のことです。ティベリウス・グラックスが死ぬ紀元前133年を始まりとし、オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)がプトレマイオス朝を滅ぼし、地中海世界を統一する紀元前30年が終わりとされています。英語では「共和政ローマの危機」と呼ばれ、その名の通り、ローマの共和政崩壊、帝政への移行をもたらしたのです。
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ロドヴィコ・ポリアギ作『ティベリウス・グラックスの死』
ティベリウス・グラックスは、民衆の生活改善に繋がる様々な改革を唱えましたが、利権を維持したい元老院保守派により暗殺されてしまいました。以来、元老院主導の政治を支持する閥族派(オプティマテス)と、グラックスの改革を支持した民衆派(ポプラレス)の対立が激化するようになり、内乱の一世紀が幕を開けたのです。
ティベリウス・グラックスの弟ガイウス・グラックスも兄の意志を継ぎ、さらなる改革を進めました。彼の改革には、土地の再分配、穀物の価格統制、司法制度の改良などが含まれていましたが、ガイウスもまた元老院保守派の反発に遭い、最終的に自殺に追い込まれました。この兄弟の悲劇は、ローマの政治が深刻な対立と混乱に陥る序章となりました。
内乱の一世紀では、数多くの内乱と反乱が発生しました。以下はその代表的なものです。
ローマ市民権を求めるイタリア半島の同盟都市が起こした反乱。戦争の結果、同盟市はローマ市民権を得ましたが、多くの犠牲を伴いました。
剣闘士スパルタクスが指導する大規模な奴隷反乱。ローマ軍によって鎮圧されましたが、奴隷制度の不安定さを露呈しました。
閥族派のスッラと民衆派のマリウスが対立した内戦。スッラが勝利し、独裁官となりローマの改革を進めました。
オクタウィアヌスの勝利により、内乱の一世紀に終止符を打った戦い「アクティウムの海戦」
内乱の一世紀の終わりには、ユリウス・カエサルの暗殺(紀元前44年)後に発生した第二次ローマ内戦(紀元前43年〜前31年)があります。カエサルの後継者として台頭したオクタウィアヌスと、カエサルの元副官マルクス・アントニウスが対立しました。
オクタウィアヌスとアントニウスの最終決戦。オクタウィアヌスが勝利し、アントニウスとクレオパトラは自殺。これにより、オクタウィアヌスが地中海全域を支配し、内乱の一世紀が終結しました。
紀元前27年、オクタウィアヌスはアウグストゥスの称号を得て、ローマ初代皇帝となり、ローマは帝政へと移行しました。彼の治世は「パックス・ロマーナ」と呼ばれる平和と繁栄の時代の始まりを告げ、ローマの新たな時代が幕を開けました。
「内乱の一世紀」は共和政ローマ末期の混乱と戦争の時代を象徴していますが、この時期を経てローマは帝政へと移行し、アウグストゥスによる統一と平和の時代が訪れました。ローマの歴史において、この時期の政治的、社会的変動は後のヨーロッパ文明に多大な影響を与えました。
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