
アフリカは産業革命を支える原料の宝庫として、欧州列強による植民地獲得競争の主戦場となった(アフリカ分割)。
産業革命がもたらした変化は、イギリスやフランスといった一部の先進国だけにとどまりませんでした。むしろ本当の意味でのインパクトは、「世界全体の経済構造」がガラリと変わったことにあるんです。工場から生まれた製品が海を越えて世界中に流れこみ、同時に「資源を持つ国」と「工業を持つ国」の格差がどんどん広がっていきました。そしてその波は、アジアやアフリカにも押し寄せていくことになるのです。このページでは、そんな産業革命が世界経済に与えた影響について、植民地支配やアフリカ分割にも触れながら、わかりやすくかみ砕いて解説していきます。
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産業革命は、経済の中心を「農業」から「工業」へと一気にシフトさせました。ここがまず大きなターニングポイントです。
イギリスでは織物や鉄製品が次々と大量に作られるようになり、「供給力」が桁違いにアップします。これにともない、輸出を前提とした経済モデルが生まれ、イギリス製品がアジア・アフリカ・南米などに押し寄せるようになります。
鉄道や蒸気船が整備されることで、遠く離れた国との商取引もぐっとスムーズに。リヴァプールからカルカッタへ、ロンドンからケープタウンへ──物も人も、いままでにないスピードで動き出したわけです。
工業国にとって、もはや「自国だけの資源」では足りなくなってきました。そこで必要になったのが、植民地です。
19世紀後半、とりわけ1880年代以降になると、ヨーロッパ諸国はアフリカ大陸を“パズルのように”分割していきます。これは、鉄鉱石、ゴム、綿花などの原材料を安定供給するための手段だったんです。いわゆる「アフリカ分割」ですね。
植民地は単なる供給地ではありません。イギリスやフランスにとっては、そこで自国製品を売るための市場でもありました。つまり「資源を安く手に入れて、自分たちの商品を高く売る」という搾取の仕組みが出来上がっていったわけです。
こうして出来上がったのが、「工業国 vs 非工業国」という経済的ヒエラルキーです。
工業化に成功した国々は富を蓄積し、軍事力も増強。逆に、植民地にされた国々は資源を奪われ、安価な労働力として使われ続けました。この構造が、20世紀以降の南北問題や経済的不平等の出発点になっていくんです。
また、イギリスは産業革命の成果を背景に、ポンドを基軸とする国際貿易システムを築き上げました。これによってロンドンは世界経済の中心地となり、国際的な決済や投資がここからコントロールされるようになったのです。
こうして見ていくと、産業革命が変えたのは“モノづくり”だけじゃありません。国と国との経済的な力関係、植民地支配のあり方、そして世界秩序そのものが、大きく塗り替えられていったのです。とりわけアフリカ分割は、その象徴的な出来事だったと言えるでしょう。
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